違いを尊重しあえる世界を・・
投稿者: jyorujyusando 投稿日時: 2001/11/01 05:23 投稿番号: [109888 / 177456]
tenshinokisekiさんへ
エゴには表裏があるとおっしゃっていますね・・・
欲は 良くなるために必要なことだとわたしも思っています.
しかし、そのエゴや欲を上手くコントロ−ルできてこそ、大人になることじゃないでしょうか。
>エゴがあるからこそ、他より上に行きたい
>と思う感情が生まれる。
あなたの言われる、このような他に比べることだけでなく、
自分の中でのみえない摂理、理想に向かって高めていきたいというものもあるんじゃないでしょうか。
たとえ闘争本能があったとしても、
醜く争い、戦争をし殺し合いをするのでなく、
そのような争いの原因を知って、そのおおもとからの解決へと知恵をだしあい、話し合ってみる・・・
そのような方向性というものをめざしていこうとする・・・、
人類の精神的な進歩へとむかっていこうと気づいている人たちもだんだんとふえてきているんじゃないでしょうか。
いつまでも、中世の混乱と策謀殺し合いの中にいるのでなく・・・
>そこに至る道のりは、弱肉強食の形になる。
>そこで言う強さ(強食)とは、軍事力、経済力、市民に自由を与える力、だ。
弱肉強食の強さを基準にすると、弱いもの軟弱なものはダメだということにされそうですね。
それこそ、表面的にしか、一方しか見えていないんじゃないかしら・・・
弱いもあって、柔らかい、やさしい・・・
それらもあってあたりまえだし、またなくてはならないものじゃないでしょうか。
表裏一体、陰陽一対ですよ。
強いだけに偏った世界が戦争じゃありませんか。
ビ−トルズの”イマジン”が自粛曲に指定されたように・・・
戦前でも、反戦にとうじた人たちは迫害にも強く耐えながら、体を痛めつけられながらも
戦争反対をいいつづけて生命を奪われ、憲兵や国家権力の前についえてしまいました。
みなが強い軍国主義にながされているときに
平和を反戦を唱えて殺されていった人たちは弱かったのでしょうか、
いえ反対だとわたしには思われます.
表面的な体力、資金、声の大きいもの、他を従えて強いとみえる人たち・・・・
その人たちが本当に強いといえるのでしょうか・・・
じつは金や名誉や地位においたてられ囚われている、それらにすがらねば不安だ
他を陥れ、自分の保身に囚われているじつは、
精神的に弱い人たちといえるのじゃないでしょうか。
たちえ体力があり、強い人でも、いずれ、弱くなり周囲に助けられて生きるようにもなります。
強いといって、傲慢になって弱いものをいじめて平気・・・
そのエゴの醜さにきづけないレベル、
あるいはそのよくないエゴを克服できない精神的に弱いひと、
そうい幼い人たちは、いわばまだまだ弱い子ども、わがままな子ども じゃないでしょうか。
>国という単位が世界にある限り、戦争は絶対に無くならない。
>戦争が無くなるときは、国という単位が消滅したときだ。
最後に、国にしろ、人にしろ、それぞれですから、
一つにしようとか、一つになれるというのが、
そもそも表裏のなんであるかみえていらっしゃらないように思われます.
イスラムにはイスラムの掟てがあり、
キリスト教にはキリスト教の戒があり、
仏教には仏教、ヒンズ−にはヒンズ−の・・・・
それぞれの違いを尊重しあって、
相手が自分と違うということを認め合ってゆけばいいと思われるのですね。
相手を尊重すれば、また、相手も違っていても尊重をしてくれるようになるでしょう。
その尊重というのは、相手を殺したり、相手を変えようとする事じゃないんですね.
アメリカのように、自分の思い通りに
自分のつごうのよいようにアフガンを変えていこうとするのは、
他者のあり方を尊重しない典型ですね、
ですから、一方的に空爆をいつまでも続けれるんですよ.
やり口はテロリストとどうようですね、背景はちがっていても・・・
わたしにはそのように思われます.
エゴには表裏があるとおっしゃっていますね・・・
欲は 良くなるために必要なことだとわたしも思っています.
しかし、そのエゴや欲を上手くコントロ−ルできてこそ、大人になることじゃないでしょうか。
>エゴがあるからこそ、他より上に行きたい
>と思う感情が生まれる。
あなたの言われる、このような他に比べることだけでなく、
自分の中でのみえない摂理、理想に向かって高めていきたいというものもあるんじゃないでしょうか。
たとえ闘争本能があったとしても、
醜く争い、戦争をし殺し合いをするのでなく、
そのような争いの原因を知って、そのおおもとからの解決へと知恵をだしあい、話し合ってみる・・・
そのような方向性というものをめざしていこうとする・・・、
人類の精神的な進歩へとむかっていこうと気づいている人たちもだんだんとふえてきているんじゃないでしょうか。
いつまでも、中世の混乱と策謀殺し合いの中にいるのでなく・・・
>そこに至る道のりは、弱肉強食の形になる。
>そこで言う強さ(強食)とは、軍事力、経済力、市民に自由を与える力、だ。
弱肉強食の強さを基準にすると、弱いもの軟弱なものはダメだということにされそうですね。
それこそ、表面的にしか、一方しか見えていないんじゃないかしら・・・
弱いもあって、柔らかい、やさしい・・・
それらもあってあたりまえだし、またなくてはならないものじゃないでしょうか。
表裏一体、陰陽一対ですよ。
強いだけに偏った世界が戦争じゃありませんか。
ビ−トルズの”イマジン”が自粛曲に指定されたように・・・
戦前でも、反戦にとうじた人たちは迫害にも強く耐えながら、体を痛めつけられながらも
戦争反対をいいつづけて生命を奪われ、憲兵や国家権力の前についえてしまいました。
みなが強い軍国主義にながされているときに
平和を反戦を唱えて殺されていった人たちは弱かったのでしょうか、
いえ反対だとわたしには思われます.
表面的な体力、資金、声の大きいもの、他を従えて強いとみえる人たち・・・・
その人たちが本当に強いといえるのでしょうか・・・
じつは金や名誉や地位においたてられ囚われている、それらにすがらねば不安だ
他を陥れ、自分の保身に囚われているじつは、
精神的に弱い人たちといえるのじゃないでしょうか。
たちえ体力があり、強い人でも、いずれ、弱くなり周囲に助けられて生きるようにもなります。
強いといって、傲慢になって弱いものをいじめて平気・・・
そのエゴの醜さにきづけないレベル、
あるいはそのよくないエゴを克服できない精神的に弱いひと、
そうい幼い人たちは、いわばまだまだ弱い子ども、わがままな子ども じゃないでしょうか。
>国という単位が世界にある限り、戦争は絶対に無くならない。
>戦争が無くなるときは、国という単位が消滅したときだ。
最後に、国にしろ、人にしろ、それぞれですから、
一つにしようとか、一つになれるというのが、
そもそも表裏のなんであるかみえていらっしゃらないように思われます.
イスラムにはイスラムの掟てがあり、
キリスト教にはキリスト教の戒があり、
仏教には仏教、ヒンズ−にはヒンズ−の・・・・
それぞれの違いを尊重しあって、
相手が自分と違うということを認め合ってゆけばいいと思われるのですね。
相手を尊重すれば、また、相手も違っていても尊重をしてくれるようになるでしょう。
その尊重というのは、相手を殺したり、相手を変えようとする事じゃないんですね.
アメリカのように、自分の思い通りに
自分のつごうのよいようにアフガンを変えていこうとするのは、
他者のあり方を尊重しない典型ですね、
ですから、一方的に空爆をいつまでも続けれるんですよ.
やり口はテロリストとどうようですね、背景はちがっていても・・・
わたしにはそのように思われます.
これは メッセージ 109032 (tenshinokiseki さん)への返信です.
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