神風特別攻撃隊

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Re: 坂井三郎

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/11 17:52 投稿番号: [69 / 555]
>坂井氏の自伝を読んだ事も無いのだろう。

八毛茶瓶のおじちゃんは、読んでもすぐに忘れちゃうみたいですね。
坂井さんは上官から(死んでこい)と言われ、実質的に特攻として
出撃してるんですけどね〜。

(WIKIPEDIA参照):


- QUOTE -

坂井は体調不良のため、この空戦以降、地上待機。坂井は7月4日に復帰して硫黄島上空迎撃戦で、F6Fヘルキャットを1機撃墜したが、それまでに八幡空襲部隊及び301空(戦闘601飛行隊)は度重なる迎撃戦の損害により、壊滅状態になる。

翌7月5日、横須賀空の残存兵力の全てとなった天山8機と零戦9機の合計17機のみで、米機動部隊、第58任務部隊の大艦隊に対し、白昼強襲をかけることになる。

戦闘隊指揮官は、坂井のラバウル時代の上官の笹井中尉と海兵、飛行学生共に同期であった歴戦の山口定夫大尉、第二小隊長に坂井、第三小隊長は坂井がエース中のエースと戦後も常に称えていた武藤金義飛曹長であった。

出撃前、横須賀空司令の三浦鑑三大佐より、「本日は絶対に空中戦闘を行ってはならない。雷撃機も魚雷を落としてはならない。戦闘機、雷撃機うって一丸となって全機、敵航空母艦の舷側に体当たりせよ。」との訓示がなされ、ここに実質的に日本海軍初の特攻命令が下されることになる。


しかし、離陸後、米側レーダーに捕捉され、敵艦隊に達する前に30機以上のF6Fヘルキャットに迎撃を受ける。命令にて零戦隊も空戦もできぬまま、天山は次々と大爆発を起こし、8機中7機までが瞬時に撃墜されてしまう。

零戦隊自体も多勢に無勢で、歴戦の山口大尉も含めて、零戦も5機までがここで撃墜されてしまう。撃墜を逃れたのは、命令に反して、反撃に転じた武藤飛曹長と坂井小隊3機の計4機のみであった。

坂井は反撃してF6Fヘルキャット1機を撃墜するが、その間に武藤機ともはぐれた坂井小隊3機は、敵艦隊を引き続き捜索するが叶わず、坂井は硫黄島への帰還を決意する。

ただ、片道を前提に、帰路は全く念頭に置いていなかった状況で、正確な現在地もつかめず、日没迫るなか、硫黄島への帰還は絶望的であったが、坂井の長年の勘で、日没後、奇跡的に硫黄島への帰還を果たす。

結果的に坂井は、二番機で撃墜王の志賀正美一飛曹と三番機の白井勇二二飛曹の貴重な搭乗員の命も守ることとなる。坂井は暗闇の飛行場で、唯一撃墜を逃れた天山1機の誘導で先に帰還した武藤飛曹長と再会。

生き残った4人で三浦大佐に報告に行くと、「御苦労だった。詳しくは明日聞こう」の一言。部屋は酒の匂いで満ちていたという。

硫黄島からの帰還後は、最新鋭局地戦闘機「紫電改」を装備する第三四三航空隊(2代目。通称は『剣』部隊。以後、三四三空)戦闘七〇一飛行隊『維新隊』に異動となり、紫電改の操縦法などの指導に当たる。

その後再び横須賀航空隊勤務となり、そこで終戦を迎える。三四三空から横須賀空への異動は、「空の宮本武蔵」の異名を取る撃墜王であり、友人でもあった横須賀航空隊の武藤金義少尉と交換という形であったが、その後武藤少尉が豊後水道上空の空戦において戦死したため、坂井は武藤少尉が自分の身代わりになって戦死したのではないかと終生気に病んでいた。

坂井には、僚機の被撃墜記録がない。これは簡単に達成できることではなく、他に僚機被撃墜の経験を持たないのはドイツのエーリヒ・ハルトマンぐらいである。

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