Re: 人間機雷
投稿者: japanpoors 投稿日時: 2009/11/18 10:40 投稿番号: [503 / 555]
http://www.magazine9.jp/60th/seguchi/images/costume.jpg
伏龍の部隊が正式に編成されたのは、終戦直前の昭和20年8月5日だが、実際の訓練は、同3月ごろから始まっている。
終戦時には横須賀鎮守府の久里浜・ 野比、呉鎮守府の情島、佐世保鎮守府の川棚で、計3,000人近い若者が潜水訓練を受けていた。
このうち、横須賀の部隊(71突撃隊)の訓練拠点だった三浦半島の久里浜、 野比海岸は、最大の根拠地だった。
司令や大隊長というトップを除くと、最前線で指揮を執る士官は、職業軍人である海軍兵学校卒の士官は多くなく、予備学生出身者が大半を占めていた。
予備学生というのは、大学や専門学校に通っていた学生が海軍に志願し、短期間の訓練を受けた後、士官になる制度である。
戦争の規模が拡大し、職業軍人だけでは足りなくなったわけである。
そして実際に機雷を抱いて自爆する兵の主力は、海軍飛行予科練習生(予科練)の出身者だった。
搭乗員になる教育を中途で打ち切られた十代の少年飛行兵が多数を占めていた。
大空を飛翔することを夢見ていた少年たちが搭乗できる飛行機はもうなくなっていた。
予科練とは別に、徴兵年齢に達する前に、海軍を志願した若者も数多くいた。
そのようにして集められた16、7歳の少年たちを待っていたのは、文字通り死の訓練だった。潜水具の構造上の欠陥から、訓練中に殉職者が相次いだ。
隊員は、はき出した呼気をカセイソーダで浄化する清浄缶を背負って潜水していたが、潜水服や頭にすっぽりとかぶるカブトに海水が浸水してくると、大変なことが起きた。
水と反応したカセイソーダは化学反応を起こし、沸騰するほどの高温になり、潜水カブトの中に逆流する。
沸騰したカセイソーダを飲み込み、胃や食道を焼かれ苦しみながら死んでいく。
また呼吸方法を間違えると炭酸ガス中毒になり、すぐに意識を失ってしまう。
証言を総合すると、犠牲者は数十人になると思われるが、部隊の編成表をはじめ、機密文書の多くは敗戦直後に焼却処分され、殉職者の総数などは現在に至るまで分かっていない。
「伏龍」の存在が知られていないのは、本土決戦がぎりぎりで回避されたためである。
陸軍の主流派は「一億玉砕」「一億総特攻」を叫んでいた。
広島、長崎に原爆を相次いで落とされ、不可侵条約を破ってソ連が満州に侵攻してきて、やっと戦争を終結することになった。
関係者の取材を進める中で、この“作り話”のような「伏龍」の構想を、実際に考え出したのは、海軍軍令部第二部長の黒島亀人少将(当時は大佐)だったことが分かった。
驚くことに「伏龍」は、乗るべき飛行機がなくなり、「余剰人員」と化していた予科練生たちを「有効利用」するために考えられたという面もあった。
余ったから人間機雷にしてしまえという、転倒した発想だ。
戦時中、兵隊の命は「一銭五厘」より安いと言われてた。
「一銭五厘」 は兵士を召集する当時のはがきの値段だが、「伏龍」のことを知れば、日本の軍隊は一兵士の命をものすごく軽視していた事が分かる。
伏龍の部隊が正式に編成されたのは、終戦直前の昭和20年8月5日だが、実際の訓練は、同3月ごろから始まっている。
終戦時には横須賀鎮守府の久里浜・ 野比、呉鎮守府の情島、佐世保鎮守府の川棚で、計3,000人近い若者が潜水訓練を受けていた。
このうち、横須賀の部隊(71突撃隊)の訓練拠点だった三浦半島の久里浜、 野比海岸は、最大の根拠地だった。
司令や大隊長というトップを除くと、最前線で指揮を執る士官は、職業軍人である海軍兵学校卒の士官は多くなく、予備学生出身者が大半を占めていた。
予備学生というのは、大学や専門学校に通っていた学生が海軍に志願し、短期間の訓練を受けた後、士官になる制度である。
戦争の規模が拡大し、職業軍人だけでは足りなくなったわけである。
そして実際に機雷を抱いて自爆する兵の主力は、海軍飛行予科練習生(予科練)の出身者だった。
搭乗員になる教育を中途で打ち切られた十代の少年飛行兵が多数を占めていた。
大空を飛翔することを夢見ていた少年たちが搭乗できる飛行機はもうなくなっていた。
予科練とは別に、徴兵年齢に達する前に、海軍を志願した若者も数多くいた。
そのようにして集められた16、7歳の少年たちを待っていたのは、文字通り死の訓練だった。潜水具の構造上の欠陥から、訓練中に殉職者が相次いだ。
隊員は、はき出した呼気をカセイソーダで浄化する清浄缶を背負って潜水していたが、潜水服や頭にすっぽりとかぶるカブトに海水が浸水してくると、大変なことが起きた。
水と反応したカセイソーダは化学反応を起こし、沸騰するほどの高温になり、潜水カブトの中に逆流する。
沸騰したカセイソーダを飲み込み、胃や食道を焼かれ苦しみながら死んでいく。
また呼吸方法を間違えると炭酸ガス中毒になり、すぐに意識を失ってしまう。
証言を総合すると、犠牲者は数十人になると思われるが、部隊の編成表をはじめ、機密文書の多くは敗戦直後に焼却処分され、殉職者の総数などは現在に至るまで分かっていない。
「伏龍」の存在が知られていないのは、本土決戦がぎりぎりで回避されたためである。
陸軍の主流派は「一億玉砕」「一億総特攻」を叫んでいた。
広島、長崎に原爆を相次いで落とされ、不可侵条約を破ってソ連が満州に侵攻してきて、やっと戦争を終結することになった。
関係者の取材を進める中で、この“作り話”のような「伏龍」の構想を、実際に考え出したのは、海軍軍令部第二部長の黒島亀人少将(当時は大佐)だったことが分かった。
驚くことに「伏龍」は、乗るべき飛行機がなくなり、「余剰人員」と化していた予科練生たちを「有効利用」するために考えられたという面もあった。
余ったから人間機雷にしてしまえという、転倒した発想だ。
戦時中、兵隊の命は「一銭五厘」より安いと言われてた。
「一銭五厘」 は兵士を召集する当時のはがきの値段だが、「伏龍」のことを知れば、日本の軍隊は一兵士の命をものすごく軽視していた事が分かる。
これは メッセージ 468 (thirteen_satan さん)への返信です.
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