神風特別攻撃隊

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自爆特攻機桜花

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/02/10 13:23 投稿番号: [42 / 555]
「特攻作戦も初期には一定の“戦果”を上げたが、直ちに米軍も対抗策を強化した。特攻の標的とされる戦艦はレーダーで特攻機を捕捉し、対空砲火を強化し、戦艦(空母、巡洋艦等も同様)の上空には、グラマン等新鋭戦闘機が迎撃態勢をとっていたから、特攻機は目標に近づく前に、次々に撃墜された。

そこで費用対効果を考えて発案された究極の“新兵器”が、人間爆弾『桜花』と入間魚雷『回天』である。

『桜花』は、プロペラも脚もない人間爆弾そのものだ。『一式陸上攻撃機』を母機として吊るされて、出撃した。前部に120キログラムの炸薬が装填され、後部には三本の火薬ロケットが装備されている。小さな翼がついているが、人間一人が搭乗したこのグライダーのようなロケット滑空機は、もはや飛行機ではない。体当たり専用の人間爆弾である。

目標に達する前に切り離し、母機は航空機節約のため帰還する。しかし帰還能力がない人間ロケットたる桜花乗員は確実に死ぬ。さらに、通常積載量の二倍になる約二トンの重い子機『桜花』をぶら下げた母機『一式陸攻』は、飛行能力が低下するから、目標に達する前に母機・子機もろとも撃墜された。55機が出撃し、米艦に命中したのは2機だけで、ほかは全滅した。

この“新兵器”も作戦上ほとんど何の効果もなかった。敗戦直前のこの“新兵器”を『桜花』と名づけたのは、特攻推進者の一人、 源田 實中佐であって、桜花とともに死んだ特攻隊は『神雷隊』と呼ばれた。

戦果としては、駆逐艦一隻撃沈しただけで、当初の目標だった空母や戦艦に対しては、 命中ゼロ。『桜花』の命名者源田中佐は戦後生き残り、自衛隊の空幕長を経て、参議院議員として栄華を享受している。この桜花特攻を発案し、上申し、実現させたのは、大田正一少尉であった。

大田は兵士上がりのノンキヤリアの下級将校でパイロットでもない技術士官であった。彼は、このような無謀な『非人道的新兵器』を作った『功労者』として、当時の新聞には賞賛的に報道された(たとえば1945年5月31日付『北海道新聞』)。

彼はまもなく中尉に昇進している。このようにして、多数の若者を、生還絶対不可能な兵器によって殺した大田は、終戦直後、八月十八日に、茨城県の海軍神ノ池飛行場から、ゼロ式複座練習戦闘機で、鹿島灘の沖合に向け飛び立った。

遺書まで残していた。見た者は、桜花特攻推進の責任をとって、自爆すべく飛び立ったと思ったようだ。ところが、彼は反転北上した。金華山沖の洋上に着水し、北海道の漁船に救われ、上陸した。にもかかわらず、彼は『航空殉職』とされ、一階級特進して『海軍大尉』となり。『戸籍抹消済』となっていたのである。逃亡後、彼は、はじめは戦犯に指定されることを恐れ、さらに戸籍がないので定職につけず、各地を転々としながらも、二人の子供まで作っている。

対ソ密貿易をはじめ、闇屋のような商売を続けながら、一時、消息を絶ったが、実は1994年まで生き延びていた。これが、あの戦争中の日本軍の野蛮な制度、組織、思想、道徳観の裏側の真実を示す適例である。」
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