神風特攻隊

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Re: 帝国日本のだまし討ち、パールハーバー

投稿者: todorigafuti 投稿日時: 2008/08/10 11:04 投稿番号: [1221 / 1528]
統帥権をもつ日本軍の最高司令官は、大元帥(昭和天皇天皇)である、宣戦布告の権利も天皇が保有しているし、この大権を犯すことは誰にもできない。その天皇による宣戦布告は「大詔」で、東京時間12月8日午前11時40分に発せられている。これは、それ以前の軍事行動、攻撃を追認する意味しか見出せないが、攻撃後の宣戦布告となっている。このようにして、日本の攻撃は、太平洋上、アジア全土で行われているのであって、まさに12.7は、「米国にとって屈辱の日」である。

「ハル・ノート」への回答では、日米交渉打ち切りを告げてはいるが、明確な宣戦布告を述べていない。
そこで、これが真珠湾空襲以前に手交されて、「宣戦布告」が間に合っていた -- -としても、米国は日本から宣戦布告を受けてはいないという立場を採用したに違いない。
大日本帝国憲法では,宣戦布告の権限は,統帥権をもつ日本軍の大元帥(昭和天皇天皇)がもっており,天皇による宣戦布告の「大詔」は、1941年12月8日午前11時40分(東京時間)と,真珠湾攻撃の半日後に発せられている。

天皇、首相東條英機など日本の最高首脳陣が揃って出席した12月1日の御前会議が、宮中で開催され、そこで対米英戦争の宣戦布告が最終決定された。
大元帥昭和天皇は,真珠湾攻撃計画を以前から知らされており、対米英戦を主要閣僚の総意と国体護持を尊重して、裁可している。

この御前会議では、宣戦布告の意図が、1941年12月7日12時44分(ホノルル時間)以前には知られないように、宣戦布告は東京時間の12月8日午前7時40分(真珠湾のあるホノルル時間の12月7日午後12時40分)とすることも決められた。

1941年12月1日の御前会議は議論する場ではなく、総意のとれた最終決定を確認する場である。したがって、開戦の決意は、12月1日の御前会議の前に,既になされていたはずである。また,開戦するには,勝利の採算のある攻撃計画が策定されているはずだが,この計画は,遅くとも11月初頭には決定していた。つまり,真珠湾攻撃を含む「海軍作戦計画ノ大要」が大元帥昭和天皇に上奏されたのは、1941年11月8日である。

1941年11月8日の「海軍作戦計画ノ大要」は,海軍軍令部総長永野修身大将と陸軍の参謀総長杉山元大将が、侍従武官長宛てに発信した。これには海軍軍令部次長伊藤整一と陸軍参謀本部次長塚田功から総務部長、主任部長、主任課長など作戦の中枢部の軍人が名を連ねている。

1941年11月8日海軍作戦計画の上奏文では、フィリピン、マレーに対する先制空襲と同じくして、ハワイ停泊中の敵主力艦隊を、航空母艦6隻を基幹とする機動部隊によって空襲すると述べている。攻撃地点についても、オアフ島北方200マイルから全搭載機400機を発信して航空互換、戦艦、航空機を目標として奇襲攻撃を加えるとしている。香港,シンガポール攻略についても,作戦が述べられている。この上奏文は,陸海軍高官が認めた最終攻撃計画であり,開戦予定日(12月8日)のちょうど1ヶ月前に真珠湾攻撃計画も含め,統帥権を保有する大元帥昭和天皇に,臣下として報告がなされたのである。

君のあさはかで   愚かな考えは   否定されちゃったね、(笑)
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