Re: 自爆攻撃を命じた日本軍
投稿者: noga13391jp 投稿日時: 2009/03/02 15:53 投稿番号: [19 / 39]
> そんな、軍の指導者は東京裁判で惨めに裁かれた。
> なんで、終戦直後に切腹しなかったのか?
> 自分の命は惜しかったのか?
責任 (responsibility) とは、日本語では自分の引き受けてなすべき任務と考えられています。リスポンシビリティは、応答可能 (responsible) なことであり、意思 (will) のある人間にその解決方法を求めています。
我が国のような意思のない世界における責任は、アニマルのように与えられた役割をただただ為し終えることとなります。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。
(引用終り)
意思の無いところに自由意思 (voluntary) は考えられなく、真の自由 (liberty) も想像できません。意思の内容が見当たらないのであれば、ボランティア (自由意思に基づく人の) 活動の重要性なども理解できません。
無哲学・能天気の人は何も考えない。このような日本人に対して行動を起こさせるときは掛け声をかけ気合を入れる。自己の意思決定もなく、行動は単なる拍子ものとして開始される。気合・掛け声と共に行動に踏み切ることのできない個人は、文弱ということになり、仲間内の間で面目を失うことになろう。
英米の真似事としてのボランティア活動の奨励は、意思そのもののない人たちには半強制的な勤労奉仕と変わるところがありません。だから、個人主義も成り立ちません。その意味で我が国は「偽りの自由主義国家」です。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
> なんで、終戦直後に切腹しなかったのか?
> 自分の命は惜しかったのか?
責任 (responsibility) とは、日本語では自分の引き受けてなすべき任務と考えられています。リスポンシビリティは、応答可能 (responsible) なことであり、意思 (will) のある人間にその解決方法を求めています。
我が国のような意思のない世界における責任は、アニマルのように与えられた役割をただただ為し終えることとなります。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。
(引用終り)
意思の無いところに自由意思 (voluntary) は考えられなく、真の自由 (liberty) も想像できません。意思の内容が見当たらないのであれば、ボランティア (自由意思に基づく人の) 活動の重要性なども理解できません。
無哲学・能天気の人は何も考えない。このような日本人に対して行動を起こさせるときは掛け声をかけ気合を入れる。自己の意思決定もなく、行動は単なる拍子ものとして開始される。気合・掛け声と共に行動に踏み切ることのできない個人は、文弱ということになり、仲間内の間で面目を失うことになろう。
英米の真似事としてのボランティア活動の奨励は、意思そのもののない人たちには半強制的な勤労奉仕と変わるところがありません。だから、個人主義も成り立ちません。その意味で我が国は「偽りの自由主義国家」です。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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これは メッセージ 1 (japanpoors さん)への返信です.
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