東条英機と近衛文麿のちがい
投稿者: mamezokun 投稿日時: 2009/02/20 18:46 投稿番号: [13 / 39]
ここでいう軍の指導者とは誰をさすのか?
まず、東条英機は対米戦時に「総理大臣」「陸軍大臣」兼任し、後に「陸軍参謀総長」も兼ね、「戦陣訓」を流布した本人なので昭和20年9月11日ピストル自殺を図った。(貿易センタービルとは関係ない)
心臓をねらうも外れて当時も死に損ないと相当非難されたようだ。しかし、入院先の米駐留軍病院で「おまえがこれからの裁判で責任は自分にある、と言えば裕仁天皇を免責にする」とでも吹き込まれ(ここは推測)、天皇免責のために東京裁判まで巣鴨プリズンで余生を過ごした。裁判では「私に背近がある。陛下は関係ない。」というようなことを(約束どおり)言った。
開戦時の陸軍参謀総長杉山元は9月12日にピストル自殺。
開戦前に大東亜共栄圏構想立ち上げ、国家総動員法制定、日独伊三国同盟締結、大政翼賛会結成をやっておきながら最後に政権を放り投げた近衛文麿総理大臣は12月16日青酸カリで自殺。(安倍氏・福田氏とは関係ない)
陸軍関係は結構自決している。
一方、開戦時の島田繁太郎海軍大臣は終身刑で出所、海軍軍令部総長永野修身は巣鴨プリズン内で病死。
陸軍には「中野学校」というエリート集団がいた。軍人でありながら民間人のふりをして重要な諜報活動をするこれらの諜者たちは「切腹も玉砕もまかりならん。一人になってもがんばって情報収集するのだ。」と言われ続け、山本繁一少尉は昭和31年10月ミンドロ島から、小野田寛郎少尉はルバング島から昭和43年3月に生還している。それぞれ11年、23年密林に潜伏していた。「戦陣訓」を守っていたのは洗脳された兵士たちということになる。
最高責任者である東条英機は真面目すぎる男という評価がなされている。
これは メッセージ 1 (japanpoors さん)への返信です.
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