Re: 今後の展開ですが
投稿者: abutouma 投稿日時: 2006/07/18 22:54 投稿番号: [9996 / 20008]
adventureoftheultraworldさん
ご無沙汰しています。小生ごときの「降臨」をお待ちいただき光栄です。
現場からの生々しいレポートをお送りしたいところですが、実は所用で家族をレバノンに残して日本に来ています。明日の飛行機で帰るはずだったのが、一体いつ戻れるやらまったくわからなくなってしまいました。流浪の民の悲哀がちょっとだけわかったような気分です。
以下は本日配信のJMM連載記事の一部です。今度の事件は日本語メディアでも相当大きく報じられているので、既成メディアがカバーしていない部分、つまり兵士拉致作戦の背景について書いてみました。全文は拙HP
www.geocities.jp/beirutreport/
に掲載済ですので、ぜひご訪問下さい。
それではアドベンさんも気をつけて。テルアビブもどうやら射程内のようですから。
abutouma
果たされなかった約束
今回の兵士拉致劇の発端は2000年5月のイスラエル軍のレバノン撤退に遡る。
当時のエフド・バラク政権が1978年以来の南部レバノン占領に終止符を打った
理由はふたつあった。ひとつは泥沼化したヒズボッラーとの闘争を何とか終わらせよ
という国内世論が高まったためだ。もうひとつは、イスラエル軍が撤退してしまえば
ヒズボッラーは武装闘争継続の口実を失い、レバノン内外の世論に屈して武装解除を
強いられるという読みである。
しかしヒズボッラーの軍事力は、イスラエルと対峙するシリアやイランにとっては
貴重な戦略資産だ。そう簡単に武装解除させるわけにはいかない。
そこでヒズボッラーが持ち出した武装闘争継続の理屈がふたつあった。ひとつはシ
リアとの境界が不明確なシェバア農地はレバノン領である、イスラエル軍はまだレバ
ノン領土を占領しているという主張だ。そしてもうひとつはレバノン人やパレスチナ
人のゲリラ、政治活動家が数千人単位でイスラエルの獄中につながれている事実であ
る。「イスラエルには力の論理以外は通じない。政治犯釈放を勝ち取るには、イスラ
エル人を捕虜にして、交換交渉を行う以外にない」と言う論理だ。
2000年7月にヒズボッラーは早速この論理を実践に移した。シェバア農地近く
でイスラエル軍のパトロール車を襲い兵士3名を拘束したのである。その上で、ドイ
ツを仲介に粘り強い交渉を続け、2004年1月にレバノン人政治犯23名とパレス
チナ人400名の解放を勝ち取った。なお、交渉が妥結して初めて、この3人の兵士
は拉致作戦の際にほぼ即死していたことが判明した。ヒズボッラーは4年近くにわた
って捕虜の生死さえひた隠しにして、交渉を成功させたのだ。子弟の安否に関する情
報を一切得られなかった家族には同情するが、ヒズボッラー側の交渉術は見事であっ
た。
しかしこの時の合意は、ヒズボッラー側にとっても100%満足の行くものではな
かった。サミール・カンタールなど政治犯数名の解放にイスラエルが最後まで応じな
かったからである。「レバノン人政治犯については全員を解放させる」というナスラ
ッラー議長の約束は果たされなかった。この後も捕虜交換交渉は続いたが、ナスラッ
ラーはことあるごとに「交渉でらちが明かないのであれば、新たにイスラエル兵を捕
虜とし、イスラエルに捕虜交換を強いる」と公言してきた。捕虜を奪還するという約
束が「確かな約束」になるには、早晩新たな軍事行動が必要だった。
ご無沙汰しています。小生ごときの「降臨」をお待ちいただき光栄です。
現場からの生々しいレポートをお送りしたいところですが、実は所用で家族をレバノンに残して日本に来ています。明日の飛行機で帰るはずだったのが、一体いつ戻れるやらまったくわからなくなってしまいました。流浪の民の悲哀がちょっとだけわかったような気分です。
以下は本日配信のJMM連載記事の一部です。今度の事件は日本語メディアでも相当大きく報じられているので、既成メディアがカバーしていない部分、つまり兵士拉致作戦の背景について書いてみました。全文は拙HP
www.geocities.jp/beirutreport/
に掲載済ですので、ぜひご訪問下さい。
それではアドベンさんも気をつけて。テルアビブもどうやら射程内のようですから。
abutouma
果たされなかった約束
今回の兵士拉致劇の発端は2000年5月のイスラエル軍のレバノン撤退に遡る。
当時のエフド・バラク政権が1978年以来の南部レバノン占領に終止符を打った
理由はふたつあった。ひとつは泥沼化したヒズボッラーとの闘争を何とか終わらせよ
という国内世論が高まったためだ。もうひとつは、イスラエル軍が撤退してしまえば
ヒズボッラーは武装闘争継続の口実を失い、レバノン内外の世論に屈して武装解除を
強いられるという読みである。
しかしヒズボッラーの軍事力は、イスラエルと対峙するシリアやイランにとっては
貴重な戦略資産だ。そう簡単に武装解除させるわけにはいかない。
そこでヒズボッラーが持ち出した武装闘争継続の理屈がふたつあった。ひとつはシ
リアとの境界が不明確なシェバア農地はレバノン領である、イスラエル軍はまだレバ
ノン領土を占領しているという主張だ。そしてもうひとつはレバノン人やパレスチナ
人のゲリラ、政治活動家が数千人単位でイスラエルの獄中につながれている事実であ
る。「イスラエルには力の論理以外は通じない。政治犯釈放を勝ち取るには、イスラ
エル人を捕虜にして、交換交渉を行う以外にない」と言う論理だ。
2000年7月にヒズボッラーは早速この論理を実践に移した。シェバア農地近く
でイスラエル軍のパトロール車を襲い兵士3名を拘束したのである。その上で、ドイ
ツを仲介に粘り強い交渉を続け、2004年1月にレバノン人政治犯23名とパレス
チナ人400名の解放を勝ち取った。なお、交渉が妥結して初めて、この3人の兵士
は拉致作戦の際にほぼ即死していたことが判明した。ヒズボッラーは4年近くにわた
って捕虜の生死さえひた隠しにして、交渉を成功させたのだ。子弟の安否に関する情
報を一切得られなかった家族には同情するが、ヒズボッラー側の交渉術は見事であっ
た。
しかしこの時の合意は、ヒズボッラー側にとっても100%満足の行くものではな
かった。サミール・カンタールなど政治犯数名の解放にイスラエルが最後まで応じな
かったからである。「レバノン人政治犯については全員を解放させる」というナスラ
ッラー議長の約束は果たされなかった。この後も捕虜交換交渉は続いたが、ナスラッ
ラーはことあるごとに「交渉でらちが明かないのであれば、新たにイスラエル兵を捕
虜とし、イスラエルに捕虜交換を強いる」と公言してきた。捕虜を奪還するという約
束が「確かな約束」になるには、早晩新たな軍事行動が必要だった。
これは メッセージ 9977 (adventureoftheultraworld さん)への返信です.
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