>狂人
投稿者: f3nasa 投稿日時: 2004/05/09 17:31 投稿番号: [7709 / 20008]
>全ての善はキリスト教徒がもたらすと頑なに信じていますので
>十字軍遠征も正義だと思っていますし、今回のアメリカによる
>イラク侵略もキリスト教徒に拠る邪教徒征伐だよ本気で思っている
>らしいですからね。
ヨシュアの率いる全イスラエルは、伏兵が町を占領し、町から煙が立ち昇るのを見ると、向きを変えてアイの兵士に打ちかかり、
伏兵も町を出て彼らに向かったので、彼らはイスラエル軍の挟み撃ちに遭い、生き残った者も落ちのびた者も一人もいなくなるまで打ちのめされた。
アイの王は生け捕りにされ、ヨシュアのもとに引き出された。
イスラエルは、追って来たアイの全住民を野原や荒れ野で殺し、一人残らず剣にかけて倒した。全イスラエルはアイにとって返し、その町を剣にかけて撃った。
その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。
ヨシュアはアイの住民をことごとく滅ぼし尽くすまで投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。
ただし、この町の家畜と分捕り品は、主がヨシュアに命じた言葉どおり、イスラエルが自分たちのために奪い取った。
ヨシュアはこうしてアイを焼き払い、とこしえの廃虚の丘として打ち捨てた。それは今日まで残っている。
ヨシュアはまた、アイの王を木にかけて夕方までさらし、太陽の沈むころ、命じてその死体を木から下ろさせ、町の門の入り口に投げ捨て、それを覆う大きな石塚を築かせた。それは今日まで残っている。
そのころ、ヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のための祭壇を築いた。
この祭壇は、主の僕モーセがイスラエルの人々に命じ、モーセの教えの書に記されたとおり、鉄の道具を使わない自然のままの石で造られた。彼らはその上で、主に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。
http://www.is.seisen-u.ac.jp/~zkohta/bible/old_t/1/jos.html#jos08
▲ヨシュア記第八章には、神からカナンの地を授けられたイスラエル人が、神の命に従って異民族領へと侵略し略奪した様子が記されていますが、そこに一切の罪悪感は存在しません。何故ならイスラエル人としては、精一杯、神の命に従っただけだからです。
しかしこの時皆殺しにされた側のアイの人達に、何かの落ち度が有ったわけでもなく。ただ単に彼らは彼らなりに、それまでカナンの地で平和に暮らしていただけです。
旧約聖書に記されたこの一神教的独善性は、キリスト教やイスラム教にも受け継がれていますから、キリスト教徒にとってみれば、エルサレムをイスラム教徒やユダヤ教徒の血で満たしたという十字軍遠征も善なら、『イラクの自由作戦』もイラク解放の為の有意義な戦いだったんでしょうし、200 名以上が亡くなったバリ島爆弾テロ事件のアモロジ被告の勝ち誇った顔には、彼なりにイスラムの殉教者足り得た事への確信が窺えました。
宗教が齎す硬直化した価値観は、人を容易にバーサーカーに変えてしまう…
宗教って恐ろしいですね。
>十字軍遠征も正義だと思っていますし、今回のアメリカによる
>イラク侵略もキリスト教徒に拠る邪教徒征伐だよ本気で思っている
>らしいですからね。
ヨシュアの率いる全イスラエルは、伏兵が町を占領し、町から煙が立ち昇るのを見ると、向きを変えてアイの兵士に打ちかかり、
伏兵も町を出て彼らに向かったので、彼らはイスラエル軍の挟み撃ちに遭い、生き残った者も落ちのびた者も一人もいなくなるまで打ちのめされた。
アイの王は生け捕りにされ、ヨシュアのもとに引き出された。
イスラエルは、追って来たアイの全住民を野原や荒れ野で殺し、一人残らず剣にかけて倒した。全イスラエルはアイにとって返し、その町を剣にかけて撃った。
その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。
ヨシュアはアイの住民をことごとく滅ぼし尽くすまで投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。
ただし、この町の家畜と分捕り品は、主がヨシュアに命じた言葉どおり、イスラエルが自分たちのために奪い取った。
ヨシュアはこうしてアイを焼き払い、とこしえの廃虚の丘として打ち捨てた。それは今日まで残っている。
ヨシュアはまた、アイの王を木にかけて夕方までさらし、太陽の沈むころ、命じてその死体を木から下ろさせ、町の門の入り口に投げ捨て、それを覆う大きな石塚を築かせた。それは今日まで残っている。
そのころ、ヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のための祭壇を築いた。
この祭壇は、主の僕モーセがイスラエルの人々に命じ、モーセの教えの書に記されたとおり、鉄の道具を使わない自然のままの石で造られた。彼らはその上で、主に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。
http://www.is.seisen-u.ac.jp/~zkohta/bible/old_t/1/jos.html#jos08
▲ヨシュア記第八章には、神からカナンの地を授けられたイスラエル人が、神の命に従って異民族領へと侵略し略奪した様子が記されていますが、そこに一切の罪悪感は存在しません。何故ならイスラエル人としては、精一杯、神の命に従っただけだからです。
しかしこの時皆殺しにされた側のアイの人達に、何かの落ち度が有ったわけでもなく。ただ単に彼らは彼らなりに、それまでカナンの地で平和に暮らしていただけです。
旧約聖書に記されたこの一神教的独善性は、キリスト教やイスラム教にも受け継がれていますから、キリスト教徒にとってみれば、エルサレムをイスラム教徒やユダヤ教徒の血で満たしたという十字軍遠征も善なら、『イラクの自由作戦』もイラク解放の為の有意義な戦いだったんでしょうし、200 名以上が亡くなったバリ島爆弾テロ事件のアモロジ被告の勝ち誇った顔には、彼なりにイスラムの殉教者足り得た事への確信が窺えました。
宗教が齎す硬直化した価値観は、人を容易にバーサーカーに変えてしまう…
宗教って恐ろしいですね。
これは メッセージ 7708 (halusigenia さん)への返信です.
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