「PLO」の「CIA」への接近
投稿者: sascom007 投稿日時: 2004/03/15 10:24 投稿番号: [7197 / 20008]
>関係が深まった理由は、アメリカ側から見れば国内ユダヤ人の政治力とか、対ソ連の外交(エジプトあたりが社会主義を志向して、ソ連から膨大な援助を受けていた時期がある)などではないでしょうか?
「米ソ冷戦」が深刻化してきた時代に、「KGB」は「PLO」「PFLP」「バーダーマインホーフ」「人民解放軍」「バスク祖国と自由」などのメンバー多数をソビエトに招聘し、「パトリス・ルムンバ大学」で暗殺を含む各種工作訓練を施しました。例えばジョージ・ハバッシュ(「PFLP」議長)、ムハンマド・ブーディア(「アル・ファタハ」幹部)、一匹狼のイリッチ・ラミレス・サンチェス(通称カルロス、またはジャッカル)などと共に前回触れたアリ・ハサン・サラメ(「ブラックセプテンバー」最高幹部)なども、ソビエトに招聘され「パトリス・ルムンバ大学」で共にプロとしての訓練を受けた人々です。
一方、「CIA」もイスラエルの情報機関「モサド」の収集するアラブ諸国情報、ソビエト情報を欲しがり、「CIA」長官アレン・ダレスは「モサド」長官イッサー・ハレルと、同じく「CIA」長官リチャード・ヘルムズは「モサド」長官メイア・アミットと非常に緊密な関係を築いていました。これも前回触れたラフィー・エイタンや、その他アリ・ベンメナシュ、ディヴィッド・キムシュといった「モサド」幹部達も、「CIA」とは情報交換し合っていました。
以上のことは誰でも知っていることですが、これから私がお話する「PLO」と「CIA」の蜜月時代については意外に知られていません。
1973年11月3日、「PLO」議長ヤセル・アラファトは「CIA」副長官ヴァーノン・ウォルターズと秘密会談を持ち、極秘に「不可侵条約」を締結しました。それに伴いアラファトの命を受けたアリ・ハッサン・サラメは、定期的にラングレーを訪れ、ヴァーノン・ウォルターズと会っていました。ほんの一例を示すなら、アリ・ハッサン・サラメは「CIA」に、某国の「キッシンジャー国務長官搭乗機襲撃計画」「レバノン駐在アメリカ大使暗殺計画」などの情報をもたらし、アメリカは未然にこれらの計画が実行されるのを防いだことがありました。
ですから1979年1月22日に、ベイルートでアリ・ハッサン・サラメが殺害された時、「レバノン駐在アメリカ大使」ハーマン・アイルツは、ふと「アリ・ハッサン・サラメの死は我々にとり損失だ」と漏らしたのです。
ことほど左様に、米ソ両大国の間を巧みに遊泳することで、「PLO」及び自己の存在意義を最大限にアピールすることを最優先的に考えていたヤセル・アラファトという人は、決して一筋縄では捕捉出来ない複雑な動きをする人物であり(現存する人物で「バルカン政治家」という言葉が最もふさわしいのはアラファトではないでしょうか)、そういうアラファトに率いられた「PLO」も単純に表面的な部分だけ見ていたのでは決して理解できないということです。
「米ソ冷戦」が深刻化してきた時代に、「KGB」は「PLO」「PFLP」「バーダーマインホーフ」「人民解放軍」「バスク祖国と自由」などのメンバー多数をソビエトに招聘し、「パトリス・ルムンバ大学」で暗殺を含む各種工作訓練を施しました。例えばジョージ・ハバッシュ(「PFLP」議長)、ムハンマド・ブーディア(「アル・ファタハ」幹部)、一匹狼のイリッチ・ラミレス・サンチェス(通称カルロス、またはジャッカル)などと共に前回触れたアリ・ハサン・サラメ(「ブラックセプテンバー」最高幹部)なども、ソビエトに招聘され「パトリス・ルムンバ大学」で共にプロとしての訓練を受けた人々です。
一方、「CIA」もイスラエルの情報機関「モサド」の収集するアラブ諸国情報、ソビエト情報を欲しがり、「CIA」長官アレン・ダレスは「モサド」長官イッサー・ハレルと、同じく「CIA」長官リチャード・ヘルムズは「モサド」長官メイア・アミットと非常に緊密な関係を築いていました。これも前回触れたラフィー・エイタンや、その他アリ・ベンメナシュ、ディヴィッド・キムシュといった「モサド」幹部達も、「CIA」とは情報交換し合っていました。
以上のことは誰でも知っていることですが、これから私がお話する「PLO」と「CIA」の蜜月時代については意外に知られていません。
1973年11月3日、「PLO」議長ヤセル・アラファトは「CIA」副長官ヴァーノン・ウォルターズと秘密会談を持ち、極秘に「不可侵条約」を締結しました。それに伴いアラファトの命を受けたアリ・ハッサン・サラメは、定期的にラングレーを訪れ、ヴァーノン・ウォルターズと会っていました。ほんの一例を示すなら、アリ・ハッサン・サラメは「CIA」に、某国の「キッシンジャー国務長官搭乗機襲撃計画」「レバノン駐在アメリカ大使暗殺計画」などの情報をもたらし、アメリカは未然にこれらの計画が実行されるのを防いだことがありました。
ですから1979年1月22日に、ベイルートでアリ・ハッサン・サラメが殺害された時、「レバノン駐在アメリカ大使」ハーマン・アイルツは、ふと「アリ・ハッサン・サラメの死は我々にとり損失だ」と漏らしたのです。
ことほど左様に、米ソ両大国の間を巧みに遊泳することで、「PLO」及び自己の存在意義を最大限にアピールすることを最優先的に考えていたヤセル・アラファトという人は、決して一筋縄では捕捉出来ない複雑な動きをする人物であり(現存する人物で「バルカン政治家」という言葉が最もふさわしいのはアラファトではないでしょうか)、そういうアラファトに率いられた「PLO」も単純に表面的な部分だけ見ていたのでは決して理解できないということです。
これは メッセージ 7189 (adventureoftheultraworld さん)への返信です.
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