イスラエル/パレスチナ和平

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西岸は昔からパレスチナの中心地

投稿者: jordan148392 投稿日時: 2004/01/25 02:52 投稿番号: [7086 / 20008]
パレスチナのような雨の少ない地方では、水のわき出る丘陵地帯が昔から人々の生活の中心であり、古代ユダヤからつい最近にいたるまで、西岸こそが人々の住む場所であった。
20世紀になってユダヤ人がパレスチナに戻り始めたときも同じであり、ユダヤ人はパレスチナ人の住んでいなかった海岸沿いの砂地に苦労して農地を切り開き、街を建設した。今のテルアビブもその一つである。
国連によるパレスチナ分割案も、パレスチナ人には西岸を与え、ユダヤ人には海岸沿いを与えたのである。
伝統的なパレスチナの農村の多くはパレスチナ人の手に残ったが、ハイファのような海岸沿いの都市に住むパレスチナ人が難民になってしまった。アラファト議長もその一人である。
西岸にもとから住むパレスチナ人は難民となることなく、ヨルダン王国の市民として平和な日々を送っていた。
1968年からイスラエルに占領されても、労働党時代は入植地は禁止されていたし、イスラエルも西岸はいずれヨルダンに返す考えでいたから、公共事業もヨルダンと協力して行っていたほどである。
しかし、1980年近くになってリクードが政権を握ると、入植地が建設され出して、緊張感が高まった。
ちょうどその頃イランでホメイニ師が実権を握り、イスラム原理主義がパレスチナ人に影響力を強めていった。
しかし、入植地も基本的にはパレスチナ人の住んでいない土地を選んで、人の住めない岩山の上だとか、ヨルダン川や死海のほとりの健康によくない土地が中心である。
しかし、写真で見ると、パレスチナ人の村を監視するために岩山の上に建てられたように見えてしまい、緊張感を高めている。
イスラエルでも、労働党は入植地完全撤退を主張しているし、リクードでもシャロン首相のように軍事のプロは柔軟に対応する考えのようである。
ただユダヤ教原理主義とでもいうべき人々は、古代ユダヤの中心であった西岸に対する思い入れが強いようである。
彼らはとうとう労働党のラビン首相を暗殺するところまでいってしまったが、最近のイスラエルではこうした宗教勢力のいきすぎに対する市民の怒りも高まりつつあるという。
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