<何を><どう>「曲解」しているかの
投稿者: imonoyama3 投稿日時: 2008/05/16 23:34 投稿番号: [15710 / 20008]
>イスラエル側の攻撃がマイナスの方向に動いて均衡したならと言っている。
「均衡したなら」
一体、何が「均衡」するのか。
「均衡」するの主語は何か?
「双方の被害」だ。
では、どうすれば、「均衡」するのか、
イスラエル側の被害がもっともっと増えずに、
どうやって「均衡」するというのであろうか。
それを
「イスラエル側の一般市民がもっともっと殺傷されることを待つ」
ということだと解釈するのは、間違いだという。
もういいや、
私は、イスラエル側の一般市民が殺傷されることをも非難する。
それを他者に強要するつもりもなければ、
強要できるものでもないと思っている。
色々な理屈をつけて、
イスラエル側の一般市民への殺傷行為を非難しないこともまた
『自由』だと最初から書いている。
どうぞお好きなように。
もし私がイスラエル人なら、
(そう仮定することがそもそも不可能だという批判も可能だが)
私はイスラエル人として、自国政府の戦争政策、占領政策に反対したいと思う。
しかし、そういう私は同時に、自爆テロやロケット弾に怯えねばならない。
何故だ。理解できない。
だからこそ自国政府の戦争政策、占領政策を
一刻も早く変えさせろというプレッシャーなのだろうか。
そうだとしても、変えさせるまでに生み出される殺傷行為は許されるのか。
許されるとは思えない。
少なくとも、無差別テロは、イスラエルの戦争政策・占領政策を変えさせるのに
プラスであるとは思えないばかりか、マイナスであると思う。
否、明らかな阻害要因だ。
だからこそ、パレスチナ側でもカッサム・ロケット発射に反対する人も多い。
多いどころか、常に半数は超えていると思う。
・<目的>は何か?
イスラエル政府の戦争政策・占領政策を止めさせること
・<手段>は何か?
双方に(特にイスラエル側に)反対する勢力を増やすこと
これが基本だと思う。
イスラエル側にも反対する者は多い。
そういう人達の苦難と苦闘に迫り、共有せんと日々努力すること。
それが私の基本的方向性だ。
そういう私にとって、カッサム・ロケット発射は、
パレスチナ、イスラエル双方で、
日々、事態の解決に苦闘している人々の阻害でしかないと考えている。
これは メッセージ 15709 (military_messaiah さん)への返信です.
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