Re: 異教徒達の共..
投稿者: maximirion 投稿日時: 2008/03/30 04:15 投稿番号: [15553 / 20008]
>今のハマースに大物指導者は居ません。
居る方が良かったか?と問われれば、あまりにもカリスマ的な指導者なら、居ない方がロングスパンでは良いかと思います。
「宗教を前面に押し出してくると、そこには争いが起こり「神」の名の下に、血で血を洗う戦いが繰り広げられるのです(-_-;)」
といったようなことは、宣教する側で意図的に扇動しなければ起きません。
同じ教典に異なる上書きをしたものであればこそ、他の宗教に対して依り近親憎悪は高まりやすい。
しかし、信心する教徒としては宣教する者達が「殲滅すべき異教徒」と説かない限り血で血を洗う闘いを自発的に目指すことはありません。
どう転んでも異教徒というだけで人が人を殲滅して良いなどと言うことを唱う教典はありません。
背神により人々を闇に貶めるものを排他する聖書の神様の峻厳な側面は、一方で人が人を裁くまたは殲滅を図るなどを許してはいません。
そういうことは、神の責(聖書の神に名はないので)に於いて神の為す専権事項とされています。(だから、聖書を信仰する民の国で死刑廃止論が主流になるのが正常だと言えます)
カリスマ的指導者が出れば、当然宣教的な排他性が働く可能性は格段に増え、その際に異教徒を血によって洗い流せという気運が生まれる土壌になります。
ニュートラルな信仰心に支えられて意志決定の総体的方向制が生まれていく限りにおいては、敬虔な信者の集団であればあるほど「神の名の下に、血で血を洗う戦いが繰り広げられる」ことはなくなります。
しかし、宗教と言うものの性質上、哀しいかなカリスマ的指導者が教徒である民衆から望まれるわけです。
そして、教典に添えられた布教と宣教の為にspellingされた福音書の中にある救世主の出現やそれとダブらせたカリスマ信仰が上書きされて行くわけです。
いてもいなくてもカリスマは、薬と同様に過ぎれば毒にも成ると思います。
これは メッセージ 15552 (aliceandbob1227 さん)への返信です.
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