イスラエル/パレスチナ和平

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パレスチナ 石握り締めた少年

投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2007/07/16 01:56 投稿番号: [14178 / 20008]
いまビオラで希望奏でる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070715-00000018-maip-int

1987年に始まったパレスチナの民衆蜂起(第1次インティファーダ)当時、反イスラエル抵抗闘争を鼓舞した一枚のポスターがある。悲しみに満ちた目で、両手に石を握り締めたパレスチナ人の少年が、イスラエル兵に向かっていく瞬間を撮影したものだ。少年は今、プロのビオラ奏者に成長し、パレスチナ自治区で音楽活動を続けている。イスラエルの分離壁に囲まれ、占領下で抑圧された子供たちに必要なもの−−。「それは銃ではない」。音楽を通じて生きる希望を与えたいと奮闘している。【ラマラ(ヨルダン川西岸)で前田英司、写真も】
  87年12月。イスラエル占領下のヨルダン川西岸とガザ地区にインティファーダの嵐が吹き荒れ始めた直後のことだ。当時8歳だったラムジィ・アブレドワンさん(28)は、西岸ラマラのアル・アマリ難民キャンプの自宅に向かって友人と歩いていた。キャンプの入り口に差し掛かった時だった。突然、イスラエル兵が発砲した。飛び散る鮮血。友人が崩れ落ちた。死んでいた。とっさに石をつかんだ。「この日から毎日、イスラエル軍や(占領地の)ユダヤ人入植者に投石して暮らした」
  アブレドワンさん一家は現在のイスラエル中部ラムラ近郊の出身。48年の第1次中東戦争で村を追われ、難民キャンプに移った。両親は離婚し、祖父母に育てられた。毎朝、町に出かけて新聞を売り、生活費を稼ぐ子供時代だった。
  16歳の時、石を握ったあのポスターを通じて知り合った友人から、ラマラを訪れていたヨルダン在住のパレスチナ人音楽家を紹介された。初めて楽器に触れた。ビオラだった。「音楽をやるなんて夢のまた夢だった」。18歳で奨学金を勝ち取り、仏アンジェに音楽留学。今や欧州をツアーする一流奏者の仲間入りを果たすまでに成長した。
  父親は90年にイスラエル軍に殺害された。03年には弟も殺された。自身にも投獄歴がある。「こんな環境では爆弾を作り、自爆しようと考えても不思議はない。音楽と出合わなければ僕も今ごろ本物の『戦士』になっていたかもしれない」
  02年にラマラに戻った時に見た子供たちの絵が忘れられない。戦車に銃、殉教者……。被写体は「普通でないもの」ばかりだった。しかし、そんな子供たちを前に演奏を披露すると、その後の絵には楽器が登場した。「自分が得たチャンスを他の子供にも与えたい」。以来毎年、欧州の音楽仲間をボランティアで集め、自治区各地をコンサートをして回っている。
  ラマラ旧市街で05年、活動母体の「アル・カマンジャーティ協会」を開設した。アラビア語で「バイオリン奏者」の意味だ。現在、4〜15歳の約350人が弦楽器などのレッスンを受けている。
  アブレドワンさんは仏国籍を取得し、ラマラと仏アンジェを行き来する。「パレスチナの状況はイスラエル占領下にある限り、何も変わらない。せめて『壁の外』の子供たちと同じように、パレスチナの子供にも夢を抱かせてあげたい」。将来は日本で活動への賛同を求めたいという。

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怒りを堪え暴力を捨て希望を育てようと姿は尊敬に値する。

イスラエルや米国の人権団体の懸命な活動もまた然り。

こういった地道な活動を積み重ね大きくしていくことも和平に近付く最善の道の一つだろう。
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