個人の話になると、考えさせられます。
投稿者: jalal_q8 投稿日時: 2001/04/04 04:04 投稿番号: [1362 / 20008]
私は今、湾岸の某国に住んでいますが、駐在先の事務所にはパレスチナ人が何人かいます、正直決して優秀な社員とは言えないのですが。。。
彼の故郷はヨルダン川西岸地区、先日彼から「母親が亡くなりそうだ、死ぬ前に一度顔を見ておきたいので休暇が欲しい。但し、インティファーダが激化した場合、イスラエルが西岸/ヨルダンの国境を封鎖してしまう。昨年も最長1ヶ月にわたって封鎖された。」との話がありました。僕からは「国境封鎖は不可抗力だから、そのリスクは心配せずに母親のもとに行って来て良い。」と許可を与えました。
彼は明後日朝出発すべくフライトを手配しましたが、翌朝電話があり「昨晩、容態が急に悪化して母親が亡くなった…」との事。会社に出てきた彼は死ぬ前にもう一度母親に会えなかった(最後にあったのは3年前と)くやしさ、母親を亡くした悲しさで涙でボロボロでした。
こうした小さな個人個人の体験が大きな憎悪を構成しているのだな、と改めて感じた次第です。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a5a4a59a5ia5a8a5ka1bfa5qa5la59a5aa5jobjbf_1/1362.html