レバノン系アメリカ人の受難と苦悩 (PBS)①
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2006/08/08 05:19 投稿番号: [10954 / 20008]
Lebanese-Americans Disagree with U.S. and Israeli Policy Toward Lebanon
http://www.pbs.org/newshour/bb/middle_east/july-dec06/views_08-02.html
レバノンからますます凄惨なニュースが伝えられるなか、
レバノン系キリスト教徒がシカゴ郊外の教会に集まりました。
音楽と祈りが教会を満たしていきます。
聖ヨハネ・バプテスト・メルキト・カトリック教会のロバート・ラバト神父は、
ミサに参列した信者の怒りと苦しみが少しでも和らぐことを望んでいました。
誰かを責めるのではなく、神に叡智を与え給え、平和を広め給えと祈る方が
ずっと大きな救いになると私は信じています。
しかしハニ・アラムさんにとって平和を見い出すのは
生易しいことではありません。
イスラエルの爆撃を受け、レバノンで暮らす家族が
北に避難したという知らせを受けたばかりなのです。
ミサの後、アラムさんは姉妹に電話を掛けました。
紛争が始まって以来日課となっています。
今皆どうしてる?
なんとか生きてるわ。
爆撃された時、とても心配したよ。
神様が皆についていて下さるよう祈っている。
また近い内、連絡するよ。
気をつけて、無事を祈る。
電話の後は気が楽になりますか。
いつも暗澹たる気持ちになります。
もっと何かしてやれたらといつも思うんです。
できることなら恐怖を取り除いてやりたいし、
ここに連れて来てやりたいと思います。
でもここからでは手も足も出ないんです。
Fleeing the war zone
数週間前までサラさん一家はレバノンの親戚のもとに身を寄せていました。
レバノン南部生まれのアラム・サラさんは1985年にアメリカにやって来ました。
今はアメリカの市民権を取得し、エンジニアとして成功しています。
サラさんは例年通り今年の夏も娘二人を連れて、
レバノンで休暇を楽しんでいました。
7月13日、その夏休みが悪夢に一変しました。
朝6時15分くらいバーンという大きな音で目が覚めました。
窓の外を見ると大きな黒い煙が立ち昇っていました。
皆でバルコニーに出て、外の様子に呆然としていたら、
その直後にまた二つの爆発音が起こりました。
恐かったです。
アパートの上空を飛行機が旋回する音が聞こえました。
飛行機がどこにいるのかは分かっていたけど、
爆弾をどこに落とすのかは分かりませんでした。
ベイルート空港に投下された爆弾から立ち上る煙が見えたものの、
当初一家はベイルートに留まるつもりでした。
しかしある電話で気持ちが変わりました。
姉妹から電話をもらったんです。
イスラエル政府が私達の住んでいる地区を
標的にすると警告を出したというんです。
私達はどこか別の所に避難することに決め、
数キロ離れた比較的安全な場所に住んでいる姉妹に電話して
身を寄せることにしたんです。
一晩泊めてもらって翌日戻って来ようと思っていましたが、
残念ながら二度と戻ることはできませんでした。
その二日後、サラさんはタクシーを使って、シリアに向かいました。
その途中、レバノンで観た光景にサラさんは今も憤りを感じています。
一般市民の暮らす地域が、強烈な、そして無差別の爆撃を受けたのを
私自身この目で観たんです。
イスラエル政府とイスラエル空軍、イスラエル国防軍のとった行為は、
余りにも行き過ぎだと思います。
余りにも度を越えた行為です。
あのように民間人を殺害するのは、全く間違っています。
武器を持っていない民間人を殺害するようなことはあってはならないんです。
Grateful for a safe exit
二人の息子におやすみのキスをするゼイナ・ハラビさんも
レバノンに家族を残してきました。
ハラビさんは息子を連れてベイルートに住む両親を訪れていました。
その時空爆が始まったのです。
生涯あんなに恐いと思ったことはありません。
夫と違って私は内戦を経験したことはありませんでした。
祈りを捧げましたが、もうこれでお仕舞いかと思いました。
直ぐ近くに爆弾が落ちてきたんです。
http://www.pbs.org/newshour/bb/middle_east/july-dec06/views_08-02.html
レバノンからますます凄惨なニュースが伝えられるなか、
レバノン系キリスト教徒がシカゴ郊外の教会に集まりました。
音楽と祈りが教会を満たしていきます。
聖ヨハネ・バプテスト・メルキト・カトリック教会のロバート・ラバト神父は、
ミサに参列した信者の怒りと苦しみが少しでも和らぐことを望んでいました。
誰かを責めるのではなく、神に叡智を与え給え、平和を広め給えと祈る方が
ずっと大きな救いになると私は信じています。
しかしハニ・アラムさんにとって平和を見い出すのは
生易しいことではありません。
イスラエルの爆撃を受け、レバノンで暮らす家族が
北に避難したという知らせを受けたばかりなのです。
ミサの後、アラムさんは姉妹に電話を掛けました。
紛争が始まって以来日課となっています。
今皆どうしてる?
なんとか生きてるわ。
爆撃された時、とても心配したよ。
神様が皆についていて下さるよう祈っている。
また近い内、連絡するよ。
気をつけて、無事を祈る。
電話の後は気が楽になりますか。
いつも暗澹たる気持ちになります。
もっと何かしてやれたらといつも思うんです。
できることなら恐怖を取り除いてやりたいし、
ここに連れて来てやりたいと思います。
でもここからでは手も足も出ないんです。
Fleeing the war zone
数週間前までサラさん一家はレバノンの親戚のもとに身を寄せていました。
レバノン南部生まれのアラム・サラさんは1985年にアメリカにやって来ました。
今はアメリカの市民権を取得し、エンジニアとして成功しています。
サラさんは例年通り今年の夏も娘二人を連れて、
レバノンで休暇を楽しんでいました。
7月13日、その夏休みが悪夢に一変しました。
朝6時15分くらいバーンという大きな音で目が覚めました。
窓の外を見ると大きな黒い煙が立ち昇っていました。
皆でバルコニーに出て、外の様子に呆然としていたら、
その直後にまた二つの爆発音が起こりました。
恐かったです。
アパートの上空を飛行機が旋回する音が聞こえました。
飛行機がどこにいるのかは分かっていたけど、
爆弾をどこに落とすのかは分かりませんでした。
ベイルート空港に投下された爆弾から立ち上る煙が見えたものの、
当初一家はベイルートに留まるつもりでした。
しかしある電話で気持ちが変わりました。
姉妹から電話をもらったんです。
イスラエル政府が私達の住んでいる地区を
標的にすると警告を出したというんです。
私達はどこか別の所に避難することに決め、
数キロ離れた比較的安全な場所に住んでいる姉妹に電話して
身を寄せることにしたんです。
一晩泊めてもらって翌日戻って来ようと思っていましたが、
残念ながら二度と戻ることはできませんでした。
その二日後、サラさんはタクシーを使って、シリアに向かいました。
その途中、レバノンで観た光景にサラさんは今も憤りを感じています。
一般市民の暮らす地域が、強烈な、そして無差別の爆撃を受けたのを
私自身この目で観たんです。
イスラエル政府とイスラエル空軍、イスラエル国防軍のとった行為は、
余りにも行き過ぎだと思います。
余りにも度を越えた行為です。
あのように民間人を殺害するのは、全く間違っています。
武器を持っていない民間人を殺害するようなことはあってはならないんです。
Grateful for a safe exit
二人の息子におやすみのキスをするゼイナ・ハラビさんも
レバノンに家族を残してきました。
ハラビさんは息子を連れてベイルートに住む両親を訪れていました。
その時空爆が始まったのです。
生涯あんなに恐いと思ったことはありません。
夫と違って私は内戦を経験したことはありませんでした。
祈りを捧げましたが、もうこれでお仕舞いかと思いました。
直ぐ近くに爆弾が落ちてきたんです。
これは メッセージ 10419 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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