Re: サタンは実在する
投稿者: wasabi701 投稿日時: 2006/08/01 20:13 投稿番号: [10545 / 20008]
>>そもそもなぜ神が人を創造したと言い切れるのか?
神と直接対話したという人はモーゼしかいないがモーゼは十戒しか与えれられていない
>と仰いましたがモーセはシナイ山上での十戒のほかに俗にモーセ五書と呼ばれる物も神から承った。その中に創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記が含まれている。で人類の創造はその中の創世記に記されている。しかし聖書に書かれているからって信じるか信じないかはそれこそ個人の自由意志で決められるが聖書の一部だけを信じて批判する事は卑怯ですよ。すなわちエホバ(創造主)の存在を聖書により肯定するならば神が人類を創造された事も信じなければならない。そうでないと明らかに都合が良いところだけとったほうが有利ですから。
気が狂ったモーゼがシナイ山で神から直接受けたと言われるものは十戒でしかない、その他のモーゼ五書の内容はモーゼ自身が書いたものではない、後世で書かれ編集されたものだ。
>>全知全能のはずの神なら人に自由意志を持たせばいずれ悪い事をする事は予見できたはず、後に人間が勝手に神から離れ今日のように背信の罪を犯す事を予見できなかったとすれば神は全知全能ではない事になる、全知全能でないならば神が間違いを犯す可能性も出てくる事は論理的に明白だろう、やはり最大の罪深いバカ者はそのような人間を創造した神自身である。
>この問題は確かに僕の頭では答えられないし論理的にはあなたの言い分が通ることになるかもしれませんね。しかし人間の小さな頭で考え抜いたことの外に神がいる、つまり次元が神と人間じゃ違う。また人間の限られた思考力で無理して神を語ろうとするのならばそれは徒労に終わるし、必ずどこか歪んでしまった像になるということなのです。
あなたの「人間の限られた思考力で無理して神を語ろうとするのならばそれは徒労に終わるし、必ずどこか歪んでしまった像になる」という主張が本当ならば、あなたの言う神は愛であり正義であるという事もかなり歪んだ像でしかないことになりますよ。
もし神は次元が違って人間に把握できないものであるなら人は神を見ることも、触ることも、匂いを嗅ぐ事も、想像すらできない事になる。
つまり神は人間にとって存在しないも同然、いや、存在しないと言ってよいだろう、結論として全知全能の神なるものは存在しないと言うことがはっきり断言できるのです。
>>だいたい侮辱されたくらいですぐ怒る神というのは人格的にかなり問題があるのではないか
>それは愛でおられるという方の神が怒るというのは一見奇異に映るでしょう。寛容ならば何故という具合にね。しかし神は愛という側面も確かに持ち合わせているがそれと同時に正義、義なる神という側面も持ち合わせているのですよ。愛だけの神ならば滅ぼさないでしょうね。しかし事実聖書にはそれ以外の側面も記されている。そういう側面が複雑に合わさって一つの人格を形成しているわけでソドムとゴモラの場合は不品行や好色という罪もありました。いやこの罪が神が定めていた摂理や秩序に反していたわけなのです。ですから逆上して滅ぼす、という方ではなく滅ぼしたくないが仕方なく(何しろ他の動物とは違い人間をわざわざ土から形造ったのですから)義の為に聖絶したという具合です。怒り任せではないのです。
あなたは「人間の小さな頭で考え抜いたことの外に神がいる」と言っておきながらなぜ神を説明しようと試みているのですか?
「義の為に聖絶したという具合です。怒り任せではない」というのはあなたの妄想でしかない事は、あなた自身がこれまで主張してきた論拠で十分説明できますね。
神と直接対話したという人はモーゼしかいないがモーゼは十戒しか与えれられていない
>と仰いましたがモーセはシナイ山上での十戒のほかに俗にモーセ五書と呼ばれる物も神から承った。その中に創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記が含まれている。で人類の創造はその中の創世記に記されている。しかし聖書に書かれているからって信じるか信じないかはそれこそ個人の自由意志で決められるが聖書の一部だけを信じて批判する事は卑怯ですよ。すなわちエホバ(創造主)の存在を聖書により肯定するならば神が人類を創造された事も信じなければならない。そうでないと明らかに都合が良いところだけとったほうが有利ですから。
気が狂ったモーゼがシナイ山で神から直接受けたと言われるものは十戒でしかない、その他のモーゼ五書の内容はモーゼ自身が書いたものではない、後世で書かれ編集されたものだ。
>>全知全能のはずの神なら人に自由意志を持たせばいずれ悪い事をする事は予見できたはず、後に人間が勝手に神から離れ今日のように背信の罪を犯す事を予見できなかったとすれば神は全知全能ではない事になる、全知全能でないならば神が間違いを犯す可能性も出てくる事は論理的に明白だろう、やはり最大の罪深いバカ者はそのような人間を創造した神自身である。
>この問題は確かに僕の頭では答えられないし論理的にはあなたの言い分が通ることになるかもしれませんね。しかし人間の小さな頭で考え抜いたことの外に神がいる、つまり次元が神と人間じゃ違う。また人間の限られた思考力で無理して神を語ろうとするのならばそれは徒労に終わるし、必ずどこか歪んでしまった像になるということなのです。
あなたの「人間の限られた思考力で無理して神を語ろうとするのならばそれは徒労に終わるし、必ずどこか歪んでしまった像になる」という主張が本当ならば、あなたの言う神は愛であり正義であるという事もかなり歪んだ像でしかないことになりますよ。
もし神は次元が違って人間に把握できないものであるなら人は神を見ることも、触ることも、匂いを嗅ぐ事も、想像すらできない事になる。
つまり神は人間にとって存在しないも同然、いや、存在しないと言ってよいだろう、結論として全知全能の神なるものは存在しないと言うことがはっきり断言できるのです。
>>だいたい侮辱されたくらいですぐ怒る神というのは人格的にかなり問題があるのではないか
>それは愛でおられるという方の神が怒るというのは一見奇異に映るでしょう。寛容ならば何故という具合にね。しかし神は愛という側面も確かに持ち合わせているがそれと同時に正義、義なる神という側面も持ち合わせているのですよ。愛だけの神ならば滅ぼさないでしょうね。しかし事実聖書にはそれ以外の側面も記されている。そういう側面が複雑に合わさって一つの人格を形成しているわけでソドムとゴモラの場合は不品行や好色という罪もありました。いやこの罪が神が定めていた摂理や秩序に反していたわけなのです。ですから逆上して滅ぼす、という方ではなく滅ぼしたくないが仕方なく(何しろ他の動物とは違い人間をわざわざ土から形造ったのですから)義の為に聖絶したという具合です。怒り任せではないのです。
あなたは「人間の小さな頭で考え抜いたことの外に神がいる」と言っておきながらなぜ神を説明しようと試みているのですか?
「義の為に聖絶したという具合です。怒り任せではない」というのはあなたの妄想でしかない事は、あなた自身がこれまで主張してきた論拠で十分説明できますね。
これは メッセージ 10525 (pamannigou さん)への返信です.
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