住民の 意思を認めず 虐殺し
投稿者: sinjitsu06 投稿日時: 2007/08/31 09:50 投稿番号: [739 / 2082]
>>住民の
意思など
まるで
無視をする
領有権は国家に認められるものであり、
国家の意思としてまとまらない限り一部の住民の意思にすぎず、
国家の意思とは認められない為、領有権の移転に何ら影響を及ぼしません。
*これがまた 例の 残虐する 口実
*シナみれば 国家意思ほど 危険はない
*一部と言いつつ チベット征服したのが シナ
>>元々に 侵略したのが シナ人ら
これも間違いですな♪
清国が台湾を領有した理由は、「反清復明」、「海賊」の拠点とならないようにする為。
その結果が原住民に自治を認めた「化外の地」。
*いずれにせよ シナ人らが 島を盗り
*自治などを 認めるほどの 国じゃない
*残虐を 続けたシナ人が その実態
*住民に 迷惑かけただけの シナ
>日本が、「台湾原住民の自治領域」を領有しようと派兵したのが「台湾派兵」。
結果、清国は台湾の統治を強化。
>日本人を 虐殺したのが 事始め
>台湾は 日本が行くまで 野蛮国
つまり、下関条約締結から、日本が完全に台湾全域を掌握するまでの期間の台湾住民が
日本人を虐殺した野蛮人だと?
*シナ人は 台湾を 野蛮国に しただけ
*シナ人に 文明作る 力なし
*事実知らぬ 者の混乱した 思考
●参考1
・漢人による原住民迫害の手法
★漢人の原住民迫害の手法は次のようなものが挙げられる。
阿諛篭絡して酒と布で大土地を騙し取る。一七〇九年に泉州人の陳頼章は豚、酒、花紅 布で平埔族から大加ゼイ堡(台北)の広大な土地を手に入れた。
・現地人の転落
★土地を追われた原住民は、漢人の奴隷に転落するか反抗・逆襲に打って出るかしかなかった。それが、いわゆる「蕃乱」で、「出草」(首狩り)による「蕃害」であった。
・化外の人とは
★一九世紀に入り、漢人の侵略と迫害を受けて祖先の土地を追われた平埔族たちは、台湾各地へ散っていった
これが、キミの言う「台湾原住民の自治領域」なのか
>馬鹿ウヨの本音が出たな♪
>台湾を 盗って 薩摩に 盗るなと言い
あれぇ〜♪
薩摩が盗っているのだから、君は盗るなとは言えないことになるはずだが、
矛盾したことを平気で述べる、さすが馬鹿♪
*自分のことは 棚に上げ 相手の非だけ言う
*シナ人とは まるで 違った 良い支配
●参考2・・・日本とシナの支配の仕方の違い
・日本の琉球支配は琉球に独自の優れた文化をもたらした
★"古琉球"時代から継承してきた文化的遺産の古謡・歴史・伝説・言語など文学記録を復原する官撰の修史事業の体現。『"おもろさうし"』『中山世鑑』『"琉球国由来記"』『"歴代宝案"』『"中山世譜"』『琉球国碑文記』『混効験集』『"球陽"』などは,代表的な史料として,今日に継承される。薩摩(島津)が"引導"する琉球国王使節の江戸上り(将軍就職を慶賀する慶賀使,国王襲封を恩謝する恩謝使)は政治的儀礼的な行事の意味をふくみ,それぞれの時代の学問・漢詩・和歌・歌舞・芸能などの精神文化と接触する機会を得た。
・それに対して、上にも書いたが、シナ人の台湾支配はいかにもシナ人らしく悪辣だった
★十七世紀末の台湾の推定人口は、平地原住民約三十万人、漢族はその十分の一である。しかし、十九世紀末になると、三百万人近くに人口が膨れ上がっている。封禁の島でありながら、中国大陸東南沿岸から漢人が絶えず流入し、彼らは原住民から妻を略奪して新たな台湾社会を作ったのである。
残された原住民の男性は「蕃人は老いて妻なく」といった状態で、孤独な男性老人だけが「蕃社」に残った。そして、きわめて凄惨に種が滅びていったのである。
まるで日本のやり方とは違う。こういうのを本当の「侵略」というのだ。
まあ、キミのようなヒトにはすぐには理解は難しいだろうが・・
領有権は国家に認められるものであり、
国家の意思としてまとまらない限り一部の住民の意思にすぎず、
国家の意思とは認められない為、領有権の移転に何ら影響を及ぼしません。
*これがまた 例の 残虐する 口実
*シナみれば 国家意思ほど 危険はない
*一部と言いつつ チベット征服したのが シナ
>>元々に 侵略したのが シナ人ら
これも間違いですな♪
清国が台湾を領有した理由は、「反清復明」、「海賊」の拠点とならないようにする為。
その結果が原住民に自治を認めた「化外の地」。
*いずれにせよ シナ人らが 島を盗り
*自治などを 認めるほどの 国じゃない
*残虐を 続けたシナ人が その実態
*住民に 迷惑かけただけの シナ
>日本が、「台湾原住民の自治領域」を領有しようと派兵したのが「台湾派兵」。
結果、清国は台湾の統治を強化。
>日本人を 虐殺したのが 事始め
>台湾は 日本が行くまで 野蛮国
つまり、下関条約締結から、日本が完全に台湾全域を掌握するまでの期間の台湾住民が
日本人を虐殺した野蛮人だと?
*シナ人は 台湾を 野蛮国に しただけ
*シナ人に 文明作る 力なし
*事実知らぬ 者の混乱した 思考
●参考1
・漢人による原住民迫害の手法
★漢人の原住民迫害の手法は次のようなものが挙げられる。
阿諛篭絡して酒と布で大土地を騙し取る。一七〇九年に泉州人の陳頼章は豚、酒、花紅 布で平埔族から大加ゼイ堡(台北)の広大な土地を手に入れた。
・現地人の転落
★土地を追われた原住民は、漢人の奴隷に転落するか反抗・逆襲に打って出るかしかなかった。それが、いわゆる「蕃乱」で、「出草」(首狩り)による「蕃害」であった。
・化外の人とは
★一九世紀に入り、漢人の侵略と迫害を受けて祖先の土地を追われた平埔族たちは、台湾各地へ散っていった
これが、キミの言う「台湾原住民の自治領域」なのか
>馬鹿ウヨの本音が出たな♪
>台湾を 盗って 薩摩に 盗るなと言い
あれぇ〜♪
薩摩が盗っているのだから、君は盗るなとは言えないことになるはずだが、
矛盾したことを平気で述べる、さすが馬鹿♪
*自分のことは 棚に上げ 相手の非だけ言う
*シナ人とは まるで 違った 良い支配
●参考2・・・日本とシナの支配の仕方の違い
・日本の琉球支配は琉球に独自の優れた文化をもたらした
★"古琉球"時代から継承してきた文化的遺産の古謡・歴史・伝説・言語など文学記録を復原する官撰の修史事業の体現。『"おもろさうし"』『中山世鑑』『"琉球国由来記"』『"歴代宝案"』『"中山世譜"』『琉球国碑文記』『混効験集』『"球陽"』などは,代表的な史料として,今日に継承される。薩摩(島津)が"引導"する琉球国王使節の江戸上り(将軍就職を慶賀する慶賀使,国王襲封を恩謝する恩謝使)は政治的儀礼的な行事の意味をふくみ,それぞれの時代の学問・漢詩・和歌・歌舞・芸能などの精神文化と接触する機会を得た。
・それに対して、上にも書いたが、シナ人の台湾支配はいかにもシナ人らしく悪辣だった
★十七世紀末の台湾の推定人口は、平地原住民約三十万人、漢族はその十分の一である。しかし、十九世紀末になると、三百万人近くに人口が膨れ上がっている。封禁の島でありながら、中国大陸東南沿岸から漢人が絶えず流入し、彼らは原住民から妻を略奪して新たな台湾社会を作ったのである。
残された原住民の男性は「蕃人は老いて妻なく」といった状態で、孤独な男性老人だけが「蕃社」に残った。そして、きわめて凄惨に種が滅びていったのである。
まるで日本のやり方とは違う。こういうのを本当の「侵略」というのだ。
まあ、キミのようなヒトにはすぐには理解は難しいだろうが・・
これは メッセージ 735 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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