「日本の教育あったから今の私がいる」
投稿者: euscaphis_neo_japonica 投稿日時: 2009/08/15 11:40 投稿番号: [1982 / 2082]
という記事を読んで、「終戦の日」にあたり思うこと
『いくら自国を貶めても、一向にかまわないとする一方で、自国が行った良い面については徹底的に隠蔽し否定する』、このように教育指導され続けて64年である。世代が二周り入れ替わってなお、自虐史観を覆す動きはまだまだ圧倒的に鈍い。
敗戦を経験した場合、戦争に巻き込んだ自国を倦む気分というものは100年経たねば消えないというのが、ヨーロッパの認識であるという。
であるなら、あと36年程度経たねば、まともな国家として再生することはできないと悟った方がよさそうだ。
中共や韓国・北朝鮮のように、歴史を捏造して国民を騙す必要が我が国には無い。
我が国は、悪性国家ではなかったのであるから、事実が隠蔽されなければよいのである、良い面も悪い面も。
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「日本の教育あったから今の私がいる」…台湾の元師範学校生が語る
8月14日22時16分配信 産経新聞
日本統治時代の「負」の部分をことさらに強調して取り上げたNHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの“一等国”」(4月5日放送)に台湾からも批判が出る中、戦時中に台中師範学校で学んだ台湾人から、日本に感謝する声が上がっている。「日本人」として入学し、終戦直後に卒業を迎えるなど、時代に翻弄(ほんろう)された世代だが、「日本の教育があったから今の私がいる」と感謝の念を送っている。
「あの時代の日本人による教育は、人としての品格を向上させたと思う。私の財産といえます」
流暢(りゅうちょう)な日本語で語るのは、台湾総督府立台中師範学校第三期入学生の林永隆(りん・えいりゅう)さん(85)だ。「日本でも台湾でも、若い世代があんな教育を受ける機会はもうないだろう」と振り返る。
昭和14年に入学した林さんの同窓生は40人。日本人26人、台湾人14人だったという。2000人の受験生から選抜された“若きエリート”だった。
午前6時の起床ラッパから始まり国語、漢文、英語とみっちり仕込まれた。「『平家物語』を暗記するなどして、日本のことや日本語をたたき込まれた。日本文学には今の日本のみなさんより精通しているかもしれませんよ」と林さんは笑う。
もちろん苦しいときもあった。何十メートルも先を歩いている先輩を素早く見つけて、直立で礼をしなければならない。忘れると鉄拳が飛ぶこともあった。上下関係は特に厳しかった。「でもそうした経験も、今では良かったと思う」(林さん)。
林さんらは「伊吹会」という同窓会を作り、筆の取れるうちにと、数年前に師範学校での生活などを日本語で小冊子にまとめた。
《学寮でははしの上げ下ろしから歩き方、口の開き方まで事細かくしつけられた》《戦局は緊急を告げていたが、楽しい青春時代だった》…。授業の様子や思い出がつづられている。《当時、英語は100点満点の2点。戦争がエスカレートして敵性語の英語が廃止され、落第が免れホッとした》という“率直な”記述もある。
日本の台湾統治時代をめぐって、NHKは番組で、日台間の格差と同化という矛盾を抱え、やがて皇民化運動で日本文化を強制したと放送。視聴者約1万人が損害賠償を求める訴えを起こしている。
そうした「強制」を受けたという気持ちは林さんにはない。「今も思いだす歌は『荒城の月』や『はとぽっぽ』ですが、嫌だったという思い出はありません。同級生とも仲が良かった。日本人の先生は人格者が多かった」と振り返る。
林さんは、司馬遼太郎の『街道をゆく』を日本語で全巻読破。今でも日本に親しみを感じている。「日本の教育を受けたことは誇り。死ぬまで日本を忘れることはないでしょう」と話している。(森浩)
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『いくら自国を貶めても、一向にかまわないとする一方で、自国が行った良い面については徹底的に隠蔽し否定する』、このように教育指導され続けて64年である。世代が二周り入れ替わってなお、自虐史観を覆す動きはまだまだ圧倒的に鈍い。
敗戦を経験した場合、戦争に巻き込んだ自国を倦む気分というものは100年経たねば消えないというのが、ヨーロッパの認識であるという。
であるなら、あと36年程度経たねば、まともな国家として再生することはできないと悟った方がよさそうだ。
中共や韓国・北朝鮮のように、歴史を捏造して国民を騙す必要が我が国には無い。
我が国は、悪性国家ではなかったのであるから、事実が隠蔽されなければよいのである、良い面も悪い面も。
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「日本の教育あったから今の私がいる」…台湾の元師範学校生が語る
8月14日22時16分配信 産経新聞
日本統治時代の「負」の部分をことさらに強調して取り上げたNHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの“一等国”」(4月5日放送)に台湾からも批判が出る中、戦時中に台中師範学校で学んだ台湾人から、日本に感謝する声が上がっている。「日本人」として入学し、終戦直後に卒業を迎えるなど、時代に翻弄(ほんろう)された世代だが、「日本の教育があったから今の私がいる」と感謝の念を送っている。
「あの時代の日本人による教育は、人としての品格を向上させたと思う。私の財産といえます」
流暢(りゅうちょう)な日本語で語るのは、台湾総督府立台中師範学校第三期入学生の林永隆(りん・えいりゅう)さん(85)だ。「日本でも台湾でも、若い世代があんな教育を受ける機会はもうないだろう」と振り返る。
昭和14年に入学した林さんの同窓生は40人。日本人26人、台湾人14人だったという。2000人の受験生から選抜された“若きエリート”だった。
午前6時の起床ラッパから始まり国語、漢文、英語とみっちり仕込まれた。「『平家物語』を暗記するなどして、日本のことや日本語をたたき込まれた。日本文学には今の日本のみなさんより精通しているかもしれませんよ」と林さんは笑う。
もちろん苦しいときもあった。何十メートルも先を歩いている先輩を素早く見つけて、直立で礼をしなければならない。忘れると鉄拳が飛ぶこともあった。上下関係は特に厳しかった。「でもそうした経験も、今では良かったと思う」(林さん)。
林さんらは「伊吹会」という同窓会を作り、筆の取れるうちにと、数年前に師範学校での生活などを日本語で小冊子にまとめた。
《学寮でははしの上げ下ろしから歩き方、口の開き方まで事細かくしつけられた》《戦局は緊急を告げていたが、楽しい青春時代だった》…。授業の様子や思い出がつづられている。《当時、英語は100点満点の2点。戦争がエスカレートして敵性語の英語が廃止され、落第が免れホッとした》という“率直な”記述もある。
日本の台湾統治時代をめぐって、NHKは番組で、日台間の格差と同化という矛盾を抱え、やがて皇民化運動で日本文化を強制したと放送。視聴者約1万人が損害賠償を求める訴えを起こしている。
そうした「強制」を受けたという気持ちは林さんにはない。「今も思いだす歌は『荒城の月』や『はとぽっぽ』ですが、嫌だったという思い出はありません。同級生とも仲が良かった。日本人の先生は人格者が多かった」と振り返る。
林さんは、司馬遼太郎の『街道をゆく』を日本語で全巻読破。今でも日本に親しみを感じている。「日本の教育を受けたことは誇り。死ぬまで日本を忘れることはないでしょう」と話している。(森浩)
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