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朝鮮通信使に見る民族性の違い1

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/12/12 21:15 投稿番号: [9139 / 73791]
朝鮮通信使に見る日本と朝鮮の民族性の違い1

日本で活躍中の呉善花女史(お・そんふぁ,近年日本に帰化)の著書「韓国併合への道」の中に朝鮮通信使のことが次のように書かれている.
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  江戸時代の日本は、将軍の代がわりに訪れる総勢五〇〇名の朝鮮通信使一行を、はるばる江戸城まで迎え入れていた。それに対して李朝は、日本からの使者を釜山の草梁に設けた倭館に留めたまま、それ以上は一歩も国内に入れようとはしなかった。
  しばしば、江戸時代の日本と李朝は友好的な交隣外交(隣国との対等な外交)を行なっていたと言われるが、相互に対等に行き来したわけではなかったのである。
  朝鮮通信使一行は、壱岐・対馬・九州から瀬戸内海の各港に立ち寄り、陸路で大坂・京都・名古屋を経て江戸へ向かった。通信使一行五〇〇名を対馬藩士八○○名が護衛し、接待役をはじめ駕龍・輿・馬の世話をする者など、さまざまな日本人随伴者が千数百名、総勢三〇〇〇名の大行列であった。日本国内の往復にかけた約六ヵ月の間、一行は道々で多数の日本の民衆に迎えられたのである。
  それに対して日本側は、使節となった対馬藩士が対馬と釜山・草梁の倭館との間を往復するだけであった。李朝の民衆には、日本使節はその存在すらほとんど知られていなかったのである。日本人にとっては交隣ではあっても、李朝の大多数の人々にとっては、実質、なんらの交隣も存在してはいなかった。
  倭館は日本の使者を接待するために李朝が設けた施設で、対馬藩だけがその使用を許され、またそこでは、一定の枠内での公私の交易が対馬藩だけに許されていた。外交実務は、日本側は対馬藩、李朝側は釜山を統轄する東莱府使と定められ、それ以外に公の接触が行なわれることはいっさいなかった。
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呉善花女史は韓国軍軍人として反日教育を受けてきたバリバリの反日朝鮮人であったにもかかわらず,長年日本で暮らすうちに韓国の反日政策や情報がおかしいことに気づいて,今では韓国で行われている反日教育や反日行為が韓国のためにならないと多数の啓蒙書を著している.近年日本に帰化もした.
ハングル世代(漢字を習わなかった世代)の朝鮮人としては数少ない良識派である.
数々の啓蒙書に敬服すると同時に日韓の橋渡しとして応援したい人である.
それでも,やはり韓国や朝鮮に身びいきなところが出てくるのはしかたがない.
朝鮮通信使に関する日本側の見方も,それほど良いものばかりではない.
(私個人としては狭量に過ぎると分かっていても,近年の中国や朝鮮の反日行動ですっかり朝鮮人が嫌いになってしまったが)

それはさておき,この文章を見ながら日本人と朝鮮人の民族性の違いを見てみたいと思う.
<つづく>
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