総理大臣・金弘集、享年54歳
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2006/08/28 00:45 投稿番号: [847 / 73791]
ahoruda333さん、遅レスで申し訳ありません。
>この残虐性・変質性こそがチョンで、どうしようもなかったことなのでしょうか?
・・・・いや、私は少なくとも李完用氏の名誉だけは、なんとか保てたように思えるのですがどうでしょう?<
そうですね。李承晩に限らず、どうして、こうも愚かで陰惨、残虐な指導者が次から次へと出てくるのか、私も不思議でしようがありません。しかも、有能な実務家タイプばかりが殺される・・・・・
李完用については、確かに、戦後、李承晩が権力を得て、墓を暴かれ、遺骸を切り刻むという異様な行為がありました。
しかし、日清戦争が終結した翌年、1896年に亡くなった朝鮮の総理大臣・金弘集 はさらに悲惨でした。
気まぐれで現実感のまったく欠如した朝鮮王族に翻弄された人生で、四度も総理大臣の職につき、政経に明るい有能な人間だったようです。
日本を訪れた事もありますが、日清戦争にも勝利したように、富国強兵を着々と進め、国内も近代化した日本を視察して、朝鮮との余りの差に、かえって失望の度を深め、途中で視察をやめて、帰国したという経緯もありました。
それでも、属国然として、無意味な論争にばかり明け暮れる朝鮮の王族、両班などに対抗しつつ、経済改革、風習改革(髷を否定する断髪令や、服装の改革、軍制の見直し等々)を進めようとしますが、ことごとく、王族、両班に邪魔をされました。日本からも援助を引き出し、改革をなんとか始めようとしていた矢先、朝鮮王・高宗は、ロシア公使ウェーバーの言いなりとなり、ロシア公館に移って政務につく始末。
さらに、高宗自ら、ウェーバーに言われるまま、
ロシア公館にて、即座に警務官を呼びつけ、全然罪のない金弘集総理大臣、農工大臣、内務大臣らの五大臣を、反逆者として逮捕、殺害するよう命じました。勿論、クーデターを計画していたわけでもなく、ただ実務と改革をこなそうとしていただけでした。高宗は、単にロシア側の歓心を惹きたかったと言われています。
捕殺されることが明白で、群衆が警官隊とともに取り囲みつつある中、逃走するように言われましたが、
「私がこの国の内閣総理大臣として、全力を尽くした上で、さらに王から、あらぬことを言われて死ぬのなら、それも天命だろう」
と答え、自ら街頭に出て行き、警官と群衆によって惨殺されました。まさに、リンチで、遺体は原型をとどめないほどに殴打されたうえ、遺体は市中を数日引き回され、その後、首をさらしものにされました。
その時、日本視察に同好した政治家、魚允中らも、路上で同じようにリンチを受け、惨殺されました。
さらに、農商工務大臣・鄭秉夏も少し離れた鐘路で群衆につかまり、惨殺。遺体は、放置されたまま、群衆の投石を受け、風雨の中、一週間放置されました。
朝鮮国・総理大臣 金弘集 。
享年54歳でした。
私も、この方のことは読んでいて、大変優秀な方だったのでないか、という感じを深く受けました。
李完用のこと、金弘集 のこと、日本人には到底理解できない世界がそこにあります。
>この残虐性・変質性こそがチョンで、どうしようもなかったことなのでしょうか?
・・・・いや、私は少なくとも李完用氏の名誉だけは、なんとか保てたように思えるのですがどうでしょう?<
そうですね。李承晩に限らず、どうして、こうも愚かで陰惨、残虐な指導者が次から次へと出てくるのか、私も不思議でしようがありません。しかも、有能な実務家タイプばかりが殺される・・・・・
李完用については、確かに、戦後、李承晩が権力を得て、墓を暴かれ、遺骸を切り刻むという異様な行為がありました。
しかし、日清戦争が終結した翌年、1896年に亡くなった朝鮮の総理大臣・金弘集 はさらに悲惨でした。
気まぐれで現実感のまったく欠如した朝鮮王族に翻弄された人生で、四度も総理大臣の職につき、政経に明るい有能な人間だったようです。
日本を訪れた事もありますが、日清戦争にも勝利したように、富国強兵を着々と進め、国内も近代化した日本を視察して、朝鮮との余りの差に、かえって失望の度を深め、途中で視察をやめて、帰国したという経緯もありました。
それでも、属国然として、無意味な論争にばかり明け暮れる朝鮮の王族、両班などに対抗しつつ、経済改革、風習改革(髷を否定する断髪令や、服装の改革、軍制の見直し等々)を進めようとしますが、ことごとく、王族、両班に邪魔をされました。日本からも援助を引き出し、改革をなんとか始めようとしていた矢先、朝鮮王・高宗は、ロシア公使ウェーバーの言いなりとなり、ロシア公館に移って政務につく始末。
さらに、高宗自ら、ウェーバーに言われるまま、
ロシア公館にて、即座に警務官を呼びつけ、全然罪のない金弘集総理大臣、農工大臣、内務大臣らの五大臣を、反逆者として逮捕、殺害するよう命じました。勿論、クーデターを計画していたわけでもなく、ただ実務と改革をこなそうとしていただけでした。高宗は、単にロシア側の歓心を惹きたかったと言われています。
捕殺されることが明白で、群衆が警官隊とともに取り囲みつつある中、逃走するように言われましたが、
「私がこの国の内閣総理大臣として、全力を尽くした上で、さらに王から、あらぬことを言われて死ぬのなら、それも天命だろう」
と答え、自ら街頭に出て行き、警官と群衆によって惨殺されました。まさに、リンチで、遺体は原型をとどめないほどに殴打されたうえ、遺体は市中を数日引き回され、その後、首をさらしものにされました。
その時、日本視察に同好した政治家、魚允中らも、路上で同じようにリンチを受け、惨殺されました。
さらに、農商工務大臣・鄭秉夏も少し離れた鐘路で群衆につかまり、惨殺。遺体は、放置されたまま、群衆の投石を受け、風雨の中、一週間放置されました。
朝鮮国・総理大臣 金弘集 。
享年54歳でした。
私も、この方のことは読んでいて、大変優秀な方だったのでないか、という感じを深く受けました。
李完用のこと、金弘集 のこと、日本人には到底理解できない世界がそこにあります。
これは メッセージ 739 (ahoruda333 さん)への返信です.