Re: 恐ろしい韓国
投稿者: peroperohanahana 投稿日時: 2012/01/13 23:41 投稿番号: [71314 / 73791]
>それと、実は自分としては、人間、力を持つとどうしても悪い面が出てくるのは仕方が無い。問題はその程度がどれほど可だという考え方をしています。
「ギリシャ神話・八百万神道vs一神教宗教原理主義」という表現が相応しいと思いますが、万能たり得ない人間が創った「神」なるものの原理を他者に押し付けるという姿勢は、東西の金融ユダヤに共通すると思ってます。金儲けの為なら異教徒を殺しても罪にならない選民思想とか。
以下は、昨年読んで面白かった文庫本のアマゾンレビューコピペです。
レビューにはありませんが、ユダヤ教の影響に言及したところもとても興味深い説明でした。
>>
反哲学入門 (新潮文庫) (文庫)
「哲学」は欧米人だけの思考法である。
もともとギリシア人たちは日本人などと同じく、万物は「なりいでてある」(なる)と考えていた。それがソクラテス→プラトン→アリステレス(前450〜350年頃)たちにより万物は「つくられてある」(つくる)という考えが突然に現れた。これが「哲学」(形而上学)の始まりのようだ。
「つくる」というのはつくり出す者が必要で、超自然的なもの(イデアとか純粋形相とか)があるのだと考えた。超自然的なものに対し自然なものは、不完全なもので利用可能な、ただの物質となってしまう。
「哲学」の超自然原理はキリスト教やイスラム教などと親和性が高いため、宗教を介して拡がった。(超自然者=神)。キリスト教の歴史でも「なる」と「つくる」の間で揺り動きがった、プラトンの影響が強いアウグスティヌス(「つくる」寄り)とアリストテレスの影響を受けたトマス・アクィナス(「なる」寄り)などがいる。
時代は進み、デカルト(1596-1650)は全てを疑った結果「我思うゆえ、我あり」と、神から与えられた「理性」を発見する、その神から与えられた「理性」というのが日本人にはわかりずらい、その理由は日本人は「なる」と考えているから。
続いてカント(1724-1804)、われわれの認識は「物自体の世界」ではなく「現象界」である、と考えました。物ではなく思考の枠組み(カテゴリー)なんだ、ということらしいです。
そして「哲学」の晩期であるヘーゲル(1770-1831)、彼は精神と世界との係わりは相互的なものと考えました。ヘーゲルまで来て「哲学」はあやふやになってきました。(「なる」に近づく)
さらに破壊者ニーチェ(1844-1900)。プラトン以来続いてきた「つくる」という考え方は、おかしい!と宣言した。以後、ヨーロッパはニーチェを無視して「哲学」することはできなくなった。
最後にハイデガー(1890-1976)は「なぜと問うとき、存在と始原の調和が破れる。」と言い、「存在の生起は言葉のなかで起きる。」と構造主義の始まりを予感させる。
読後は、哲学の歴史、欧米の精神史を一望したかのように思える。
著者の膨大な知識で織り成す「哲学」はとてもすんなり入ってきた。
自分は、思考とは身体との共同作業だと考えている。この考えとも整合する。
読んでおいてよかったと思える本。
<<
>それを考えると力も無いのに悪すぎる韓国など、人類から外したいくらいです。
長い支那奴隷の歴史故か、彼の民族全体の価値観が歪み、思考力が著しく劣化していることは間違いないでしょうね。私は彼らを修羅社会しか形成できず、しかもそんな社会でしか生きられないパニックサバイバル民族と看做しています。北の野盗国に南のヤクザ国という中世以前の野蛮人です。
物資的な交流を断絶して隔離し、自律の民度進化を促すくらいしか、日本人が迷惑を蒙らない対処法はないですね。
「ギリシャ神話・八百万神道vs一神教宗教原理主義」という表現が相応しいと思いますが、万能たり得ない人間が創った「神」なるものの原理を他者に押し付けるという姿勢は、東西の金融ユダヤに共通すると思ってます。金儲けの為なら異教徒を殺しても罪にならない選民思想とか。
以下は、昨年読んで面白かった文庫本のアマゾンレビューコピペです。
レビューにはありませんが、ユダヤ教の影響に言及したところもとても興味深い説明でした。
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反哲学入門 (新潮文庫) (文庫)
「哲学」は欧米人だけの思考法である。
もともとギリシア人たちは日本人などと同じく、万物は「なりいでてある」(なる)と考えていた。それがソクラテス→プラトン→アリステレス(前450〜350年頃)たちにより万物は「つくられてある」(つくる)という考えが突然に現れた。これが「哲学」(形而上学)の始まりのようだ。
「つくる」というのはつくり出す者が必要で、超自然的なもの(イデアとか純粋形相とか)があるのだと考えた。超自然的なものに対し自然なものは、不完全なもので利用可能な、ただの物質となってしまう。
「哲学」の超自然原理はキリスト教やイスラム教などと親和性が高いため、宗教を介して拡がった。(超自然者=神)。キリスト教の歴史でも「なる」と「つくる」の間で揺り動きがった、プラトンの影響が強いアウグスティヌス(「つくる」寄り)とアリストテレスの影響を受けたトマス・アクィナス(「なる」寄り)などがいる。
時代は進み、デカルト(1596-1650)は全てを疑った結果「我思うゆえ、我あり」と、神から与えられた「理性」を発見する、その神から与えられた「理性」というのが日本人にはわかりずらい、その理由は日本人は「なる」と考えているから。
続いてカント(1724-1804)、われわれの認識は「物自体の世界」ではなく「現象界」である、と考えました。物ではなく思考の枠組み(カテゴリー)なんだ、ということらしいです。
そして「哲学」の晩期であるヘーゲル(1770-1831)、彼は精神と世界との係わりは相互的なものと考えました。ヘーゲルまで来て「哲学」はあやふやになってきました。(「なる」に近づく)
さらに破壊者ニーチェ(1844-1900)。プラトン以来続いてきた「つくる」という考え方は、おかしい!と宣言した。以後、ヨーロッパはニーチェを無視して「哲学」することはできなくなった。
最後にハイデガー(1890-1976)は「なぜと問うとき、存在と始原の調和が破れる。」と言い、「存在の生起は言葉のなかで起きる。」と構造主義の始まりを予感させる。
読後は、哲学の歴史、欧米の精神史を一望したかのように思える。
著者の膨大な知識で織り成す「哲学」はとてもすんなり入ってきた。
自分は、思考とは身体との共同作業だと考えている。この考えとも整合する。
読んでおいてよかったと思える本。
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>それを考えると力も無いのに悪すぎる韓国など、人類から外したいくらいです。
長い支那奴隷の歴史故か、彼の民族全体の価値観が歪み、思考力が著しく劣化していることは間違いないでしょうね。私は彼らを修羅社会しか形成できず、しかもそんな社会でしか生きられないパニックサバイバル民族と看做しています。北の野盗国に南のヤクザ国という中世以前の野蛮人です。
物資的な交流を断絶して隔離し、自律の民度進化を促すくらいしか、日本人が迷惑を蒙らない対処法はないですね。
これは メッセージ 71306 (eggusandot さん)への返信です.