Re: 韓国と国交断絶望む
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2011/08/02 16:05 投稿番号: [69161 / 73791]
>トンスル半島は旧石器時代の遺跡が50くらいしかなくBC10000年から5000年の間は遺跡が存在せず無人の地だった。
遺跡数日本5000に対し朝鮮50とは、しかも5000年の間は遺跡が存在していない、これは、知りませんでした。どれだけ未開なんだ(笑)
しかし、竪穴式住居が、日韓併合まで続いてい朝鮮半島なら、べつに驚くほどのことではないのかも。
けつ状耳飾に関しては、こんな面白い考察もあります。
私も石器時代の日中文化に関しては、この原田実 琵琶湖研究会研究員のような考え方も持っています。
古代の東アジアの海上交通や交易を担っていたのは、ヨーロッパに達するより早く、カヌーやイカダを使い海沿いにオーストラリアに到達した海岸狩猟民族の流れをくむ、倭人が主だったと考えている方です。
(ご存知のように大陸の民族は先天的に海をこわがり、しいて大海に乗り出そうとはしないですよね。)
だから、旧石器時代から新石器の始めにかけて、中国より人口密度が高く(人口密度が高いということは文化、つまり知識の蓄積度が高く、その分文化が発達している)かつ先進的だった倭の文化が、逆に中国大陸にもたらされた可能性も、十二分にあると思っています。
(縄文海進で水没した海底の発掘調査ができれば、もっとこの時代の理解が進むとおもいますが・・・)
つまり・・・大陸からの一方的な文化の流れではなく、双方向的だったのではないかと。
【海を越えた縄文 】
http://www.bbweb-arena.com/users/biwako/myweb1_004.htm
滋賀県をはじめ日本の縄文早期の遺跡から多数出土する装身具の一つに、
けつ状耳飾りというものがあります。中国でも、これと同形のものは出土し
ていたのですが、いずれも日本よりも年代が新しいために従来はその起源が
謎とされてきたのです。ところが最近、七千年前の河母渡遺跡(浙江省)か
ら、けつ状耳飾りが出土 レしたために、やはり中国から日本に伝播したと
いうのが通説になろうとしているのです。
しかし、私にはこれは逆立ちした議論のように思えます。河母渡遺跡の出
土例は中国にも日本と同年代の、けつ状耳飾りが存在したことを示すに過ぎ
ません。どうやら中国から日本への伝播は認めるが、その逆はありえないと
いう先入観が日中双方の学会を支配しているようなのです。河母渡遺跡は日
本文化のルーツとして論じられることが多いのですが(鳥越憲三郎「原弥生
人の渡来』等々)、むしろこれは古代中国に倭人が入り込んでいたことを示
す遺跡ではないでしょうか。
元明代には倭寇が大河を遡り、北京や南京まで侵入しているのです。これ
は洛かな後世の例とはいえ、国境のない古代で、もしも同じことが行われた
とすれば、倭人が現地にそのまま定着することもありえたでしょう。
遺跡数日本5000に対し朝鮮50とは、しかも5000年の間は遺跡が存在していない、これは、知りませんでした。どれだけ未開なんだ(笑)
しかし、竪穴式住居が、日韓併合まで続いてい朝鮮半島なら、べつに驚くほどのことではないのかも。
けつ状耳飾に関しては、こんな面白い考察もあります。
私も石器時代の日中文化に関しては、この原田実 琵琶湖研究会研究員のような考え方も持っています。
古代の東アジアの海上交通や交易を担っていたのは、ヨーロッパに達するより早く、カヌーやイカダを使い海沿いにオーストラリアに到達した海岸狩猟民族の流れをくむ、倭人が主だったと考えている方です。
(ご存知のように大陸の民族は先天的に海をこわがり、しいて大海に乗り出そうとはしないですよね。)
だから、旧石器時代から新石器の始めにかけて、中国より人口密度が高く(人口密度が高いということは文化、つまり知識の蓄積度が高く、その分文化が発達している)かつ先進的だった倭の文化が、逆に中国大陸にもたらされた可能性も、十二分にあると思っています。
(縄文海進で水没した海底の発掘調査ができれば、もっとこの時代の理解が進むとおもいますが・・・)
つまり・・・大陸からの一方的な文化の流れではなく、双方向的だったのではないかと。
【海を越えた縄文 】
http://www.bbweb-arena.com/users/biwako/myweb1_004.htm
滋賀県をはじめ日本の縄文早期の遺跡から多数出土する装身具の一つに、
けつ状耳飾りというものがあります。中国でも、これと同形のものは出土し
ていたのですが、いずれも日本よりも年代が新しいために従来はその起源が
謎とされてきたのです。ところが最近、七千年前の河母渡遺跡(浙江省)か
ら、けつ状耳飾りが出土 レしたために、やはり中国から日本に伝播したと
いうのが通説になろうとしているのです。
しかし、私にはこれは逆立ちした議論のように思えます。河母渡遺跡の出
土例は中国にも日本と同年代の、けつ状耳飾りが存在したことを示すに過ぎ
ません。どうやら中国から日本への伝播は認めるが、その逆はありえないと
いう先入観が日中双方の学会を支配しているようなのです。河母渡遺跡は日
本文化のルーツとして論じられることが多いのですが(鳥越憲三郎「原弥生
人の渡来』等々)、むしろこれは古代中国に倭人が入り込んでいたことを示
す遺跡ではないでしょうか。
元明代には倭寇が大河を遡り、北京や南京まで侵入しているのです。これ
は洛かな後世の例とはいえ、国境のない古代で、もしも同じことが行われた
とすれば、倭人が現地にそのまま定着することもありえたでしょう。
これは メッセージ 69159 (pokosi2000 さん)への返信です.