ほう、朝鮮日報にサムライがおった
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/11/15 05:24 投稿番号: [6720 / 73791]
【コラム】突如「中道」を掲げ始めた左派勢力の偽装工作
国民に見放された左派勢力がここ最近、突然「進歩」の代わりに「中道」、「統合」、「平和繁栄」、「良心勢力」といった看板を掲げ、偽装工作を図っている。
一部の在野の活動家、はなはだしくは朴正煕(パク・チョンヒ)−全斗煥(チョン・ドゥファン)時代を通じて、一度も「中道」であることを自任したこともなければ、そうした烙印を押されるのではないかと戦々恐々とし、権威主義権力に寄生していた一部の日和見主義者もが、そろいにそろって「中道」の看板を掲げたり、それを売りにする集団に紛れ込んでいる。
しかしそうした現状打開策としての「予防線上の看板」ほど、見かけ倒しでいい加減なものはない。一部の国民が惑わされることのないよう、このあたりでそうした政治キャンペーン用語を正確に見極めておく必要がある。
彼らの言う「中道」とは何だろうか。まずここではっきりさせておきたいのは、「極端さを排する」という意味の教科書的な「中道」について文句を言っているのではないということだ。「中道」をファシズムやボルシェビキズム(多数派)に傾かないという意味で使う場合ならば、保守主義、自由主義、社会民主主義路線など、「西側」の政治勢力図におけるすべての議会民主主義政党はみな極端ではない、つまり中道的な、左派もしくは右派であるとは言え、そうした意味での「中道」を排除するつもりはない。
さらには「全か無か」ではなく、広く当事者の利害を適切に調整するという意味の政策的「中庸」、「中道」を排除するものでもない。
問題は、左派政権勢力の敗残兵や「進歩的」であることを自任する在野の活動家たちが、なぜ最近になって突然「進歩」ではなく「中道」、「平和繁栄」、「良心勢力」などといった商号に群がっているのかということだ。これは一言に、これまでの自分たちの「左派的実験」が失敗に終わったことを、彼ら自身もこれ以上否定しきれなくなったことを証明しているものであり、そうした状況の中にあってその失敗を認めて自責するよりも、「中道」とかいう救命艇に乗り移って、政治的延命を図ろうとしていることを示している。
彼らが本当に変わろうとする意志があるのなら、まず1980年代から続けてきた自らの主思派(主体思想派)との「不謹慎な関係」を謝罪することから始めるべきだ。それと同時に、今からでも金正日(キム・ジョンイル)の手先である主思派運動家が、実際には「進歩」どころか「反動」であるということを公式に認め、彼らとの断固たる決別を宣言すべきだ。そして「中道」といった曖昧(あいまい)な看板を掲げてごまかそうとせず、かつて「権威主義独裁政権は退け」と叫んだのと同じくらいの勢いで「金正日マフィア首領独裁批判・・・」といった立場を明確に打ち出すべきだ。
しかし残念ながら、今まで一度たりとも彼らが金正日の反動的小スターリン主義、軍事独裁、人権抹殺に対し、きっぱりと非難の姿勢を打ち出したという話は聞いたことがない。むしろ彼らは「それなら戦争しようとでもいうのか」、「和解と平和のため、金正日を批判すべきではない」などといった非常に説得力に欠ける詭弁をまくしたててきた。
その論理が正しいなら、なぜ韓国の過去の「軍事独裁」や「人権問題」に対しては「和解と平和のために」沈黙しなかったのか。彼らはもちろん沈黙などしなかったし、今でも「過去史清算」とか何とか言いながら、あちこちを犬のようにかぎ回っている。
こうして李根安(イ・グンアン)の「南営洞分室」(80年代、学生運動家に対し拷問による取り調べを行った)の悪行は問題視しながらも、金正日の燿徳収容所の実態には見て見ぬふりするのが、果たして「中道」や「良心」だとでも言うのだろうか。
つまり左派政権勢力の負け犬たちが今やるべきことは、自分たちの罪を深く反省することであって、「政界再編」だの「政権維持」だのといった問題を厚顔無恥に騒ぎ立てることではない。不動産価格の高騰で庶民に絶望をもたらしたことだけでも万死に値するのに、盗っ人猛々しく次期政権の話を口にするとは、むしろ彼らの精神状態を疑わざるを得ない。
もはや彼らには、改革も進歩もないのだ。
柳根一(リュ・グンイル)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/14/20061114000061.html
ちと「気」と「心」のバランスに疑問がある。それとも、「心」を知って「気」に出したのかな?
ま、頼もしい。あっはっはっは、
ではおやすみ。
爺
国民に見放された左派勢力がここ最近、突然「進歩」の代わりに「中道」、「統合」、「平和繁栄」、「良心勢力」といった看板を掲げ、偽装工作を図っている。
一部の在野の活動家、はなはだしくは朴正煕(パク・チョンヒ)−全斗煥(チョン・ドゥファン)時代を通じて、一度も「中道」であることを自任したこともなければ、そうした烙印を押されるのではないかと戦々恐々とし、権威主義権力に寄生していた一部の日和見主義者もが、そろいにそろって「中道」の看板を掲げたり、それを売りにする集団に紛れ込んでいる。
しかしそうした現状打開策としての「予防線上の看板」ほど、見かけ倒しでいい加減なものはない。一部の国民が惑わされることのないよう、このあたりでそうした政治キャンペーン用語を正確に見極めておく必要がある。
彼らの言う「中道」とは何だろうか。まずここではっきりさせておきたいのは、「極端さを排する」という意味の教科書的な「中道」について文句を言っているのではないということだ。「中道」をファシズムやボルシェビキズム(多数派)に傾かないという意味で使う場合ならば、保守主義、自由主義、社会民主主義路線など、「西側」の政治勢力図におけるすべての議会民主主義政党はみな極端ではない、つまり中道的な、左派もしくは右派であるとは言え、そうした意味での「中道」を排除するつもりはない。
さらには「全か無か」ではなく、広く当事者の利害を適切に調整するという意味の政策的「中庸」、「中道」を排除するものでもない。
問題は、左派政権勢力の敗残兵や「進歩的」であることを自任する在野の活動家たちが、なぜ最近になって突然「進歩」ではなく「中道」、「平和繁栄」、「良心勢力」などといった商号に群がっているのかということだ。これは一言に、これまでの自分たちの「左派的実験」が失敗に終わったことを、彼ら自身もこれ以上否定しきれなくなったことを証明しているものであり、そうした状況の中にあってその失敗を認めて自責するよりも、「中道」とかいう救命艇に乗り移って、政治的延命を図ろうとしていることを示している。
彼らが本当に変わろうとする意志があるのなら、まず1980年代から続けてきた自らの主思派(主体思想派)との「不謹慎な関係」を謝罪することから始めるべきだ。それと同時に、今からでも金正日(キム・ジョンイル)の手先である主思派運動家が、実際には「進歩」どころか「反動」であるということを公式に認め、彼らとの断固たる決別を宣言すべきだ。そして「中道」といった曖昧(あいまい)な看板を掲げてごまかそうとせず、かつて「権威主義独裁政権は退け」と叫んだのと同じくらいの勢いで「金正日マフィア首領独裁批判・・・」といった立場を明確に打ち出すべきだ。
しかし残念ながら、今まで一度たりとも彼らが金正日の反動的小スターリン主義、軍事独裁、人権抹殺に対し、きっぱりと非難の姿勢を打ち出したという話は聞いたことがない。むしろ彼らは「それなら戦争しようとでもいうのか」、「和解と平和のため、金正日を批判すべきではない」などといった非常に説得力に欠ける詭弁をまくしたててきた。
その論理が正しいなら、なぜ韓国の過去の「軍事独裁」や「人権問題」に対しては「和解と平和のために」沈黙しなかったのか。彼らはもちろん沈黙などしなかったし、今でも「過去史清算」とか何とか言いながら、あちこちを犬のようにかぎ回っている。
こうして李根安(イ・グンアン)の「南営洞分室」(80年代、学生運動家に対し拷問による取り調べを行った)の悪行は問題視しながらも、金正日の燿徳収容所の実態には見て見ぬふりするのが、果たして「中道」や「良心」だとでも言うのだろうか。
つまり左派政権勢力の負け犬たちが今やるべきことは、自分たちの罪を深く反省することであって、「政界再編」だの「政権維持」だのといった問題を厚顔無恥に騒ぎ立てることではない。不動産価格の高騰で庶民に絶望をもたらしたことだけでも万死に値するのに、盗っ人猛々しく次期政権の話を口にするとは、むしろ彼らの精神状態を疑わざるを得ない。
もはや彼らには、改革も進歩もないのだ。
柳根一(リュ・グンイル)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/14/20061114000061.html
ちと「気」と「心」のバランスに疑問がある。それとも、「心」を知って「気」に出したのかな?
ま、頼もしい。あっはっはっは、
ではおやすみ。
爺
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.