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恥も知らぬなんじゃ(猛爆)

投稿者: topics_jk 投稿日時: 2011/02/19 13:37 投稿番号: [67015 / 73791]
>日本への伝来 唐辛子の日本への伝来を具体的に記した文献は、
江戸時代後期の農政学者・佐藤信淵(のぶひろ)の『草木六部耕種法』(1829) である。
その著の中で「蕃椒は最初南亜墨利加州の東海浜なる伯亜見国より生じたるものにして、
天文十一年波繭杜瓦爾(ポルトガル)人初めて豊後国に来航し南瓜の種子と共に
国主大友宗鱗に献ぜり。」と記している。


大友義鎮 =大友宗麟
家督相続
享禄3年1月3日、大友家第20代当主・大友義鑑の嫡男として豊後府内に生まれる。守役は重臣入田親誠が務めた。
父の義鑑は義鎮の異母弟である塩市丸に家督を譲ろうと画策して、守役の入田親誠と共に義鎮の廃嫡を企んだ。天文19年(1550年)2月に義鎮を強制的に湯治に行かせているその間に義鎮派の粛清を計画したものの逆にそれを察知した義鎮派重臣が謀反を起こし、2月10日に塩市丸とその母を殺害し義鑑も負傷して2月12日に死去するという政変(二階崩れの変)が起こる。そのため義鎮が義鑑の遺言により大友氏の家督を相続し、第21代当主となった。同時に入田親誠ら反義鎮派は「義鑑暗殺」の首謀者として粛清された。

大友宗麟の家督相続は1550年だから、江戸時代後期の農政学者・佐藤信淵の記述「国主大友宗鱗に献ぜり」は嘘ね。ザビエルの話とごちゃ混ぜになってるという事だな。(猛爆)

ザビエルは、豊後府内(大分市)にポルトガル船が来着したとの話を聞きつけ、山口での宣教をトーレスに託し、自らは豊後へ赴いた(この時点での信徒数は約600人を超えていたといわれる)。 1551年9月、ザビエルは豊後に到着。守護大名・大友義鎮(後の宗麟)に迎えられ、宗麟の保護を受けて宣教を行った。 眼鏡を伝来させた。
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