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そもそもトピ屑の主張は矛盾だらけ

投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2011/02/17 19:37 投稿番号: [66812 / 73791]
トピ屑の主張は、このカビの生えた江上波夫氏の騎馬民族征服説に寄っているのでしょう。

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  江上波夫氏の「騎馬民族説」の概要
邪馬台国は九州にあった。それは、中国の中・南支から来たとみられる稲作農耕民族のたてた国であった。この倭人が、「国神」の系統であった。


東北アジアの夫余(ふよ)系騎馬民族が、まず南鮮を支配した。それが、弁韓(加羅・任那)を基地として、北九州に侵入し、そこを占領して国をたてた。四世紀前半のこととみられる。この第一回目の日本建国の主役は、崇神天皇であった。これが、「天神」(外来民族)の系統である。この南鮮から北九州への侵入の史実は、ニニギノミコトの天孫降臨の話に反映している。


崇神天皇を主役とする加羅勢力の北九州への侵入に押され、邪馬台国は窮地を脱出するために、三世紀末か、四世紀はじめには、東遷し、畿内にうつった。そして、神権政権をうちたてた。


北九州に侵入した騎馬民族は、筑紫に都し、倭韓連合勢力を形成し、四世紀中ごろには、南鮮で、百済とならぶ大きな勢力となり、四世紀から五世紀はじめにかけて、南鮮諸国の対高句麗作戦の主導者となった。そのことを、高句麗の「広闘士王碑文」からうかがうことができる。ときには、倭軍は、朝鮮半島の奥ふかく、帯方界まで進出した。


北九州に都していた騎馬民族は、何代かをへて、古墳時代前期末(四世紀末から五世紀のはじめのころ)、さらに畿内に進出して、邪馬台国を征服し、大和朝廷をうちたてた。これが、第二回目の建国である。この主役は、応神天皇であったとみられる。この史実が神武天皇の東征伝説に反映している。騎馬民族は、大和の神権政権の地方豪族と合作して、統一政権をたて、応神、仁徳などの大王の時代となった。
江上波夫氏によれば、『古事記』『日本書紀』に語られる天皇家は、右図のように、騎馬民族の系統のもので、邪馬台国は、中・南シナ原住民系統の人々のたてた傍流の国であったというのである。

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku208.htm#kiba


詳しくは、URLの内容を読んで欲しいが日本の文化に断絶はない。
征服者が被征服者の文化を受け継ぐことなどありえない。
日本の皇室は縄文以来の伝統である勾玉文化を受け継いでいる。
5世紀あたりしか勾玉が出土せず、地質学的にプレートの沈み込みの無いトンスル半島では低温高圧の変成作用によって出来る翡翠が産出することはあり得ない。
事実世界でも翡翠はビルマやガテマラなどプレートの境界地帯でしか産出しない。
古代新羅の金冠の翡翠の勾玉は王権の印、従ってトンスラーは勾玉起源の捏造に必死。

http://blog.livedoor.jp/enkori/archives/50455716.html

古代トンスラーが日本を征服した騎馬民族であったならば、日本に稲作を伝えた農耕民族で有ったはずがない。
両方主張するということはそのどちらでもないということ。
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