天皇(大和朝廷)=渡来人説の嘘①−2
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2011/02/17 10:47 投稿番号: [66807 / 73791]
だからこそ随書など中国の文献に「新羅も百済も倭国を大国と見ている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も倭国を敬仰し、常に使節が往来している」とあるのだ。
朝鮮半島が勝る点があるとすれば、そこから産出された良質の鉄だけである。(この鉄を求めて倭人や漢人が半島に進出していた。今で言う、レアメタルを求めて後進国に赴くようなものだ)
「縄文時代から弥生時代への移行期へのムラでは、水田遺構と共に発掘された土器を始め生活文化の殆どが縄文であり、やがて弥生土器が混在し文化的にも断絶なく弥生の要素が次第に増えていった」
言うまでもなく弥生土器は倭人が作った土器である。そして「朝鮮半島には、日本の弥生式土器、それに伴う石器と類似の物が、かなり濃厚に分布している」
これらの事実は、氷河期が終わり大陸から独立した文化圏を持つ縄文人が、時代をへて緩やかに弥生人へと骨格的にも文化的にも変遷をして行ったという過程を示したものであり、そこには渡来人の移住や影響力はなく、むしろその倭人が海を渡り朝鮮半島にまで居住の地を広げていたという事に他ならない。
その傍証としては・・・古代の中国文献や広開土王陵碑の碑文、日本書紀の欽明紀にある任那日本府などから読み取れる倭人の朝鮮半島支配とその影響力など多々ある。新羅の王が代々その権威である冠に、糸魚川の翡翠(縄文人の装飾品である翡翠文化)を付けていたのは有名な話だが、その理由は実に単純な話で、新羅はその建国から倭人が深く関わっており、四代目の王・脱解やそれ以後数代にわたり新羅の王が倭人だったからであり、彼らはその権威付けに朝鮮半島より文化の進んでいた倭国の権威が欲しかったし、倭人だったという誇りと経歴を伝えたかったからだろう。
*『広開土王碑』・・・「倭が新羅や百済を臣民とした」
*『三国史記 第一巻 新羅本記』・・・「第4代国王の脱解王は、倭の多婆那国から日本海を流れてきた賢者であり、総理大臣も倭人を据えた 」
*朝鮮半島で発見されている「日本列島独特の墓制である前方後円墳の存在」
つまり、日本列島への朝鮮系渡来人の影響はまったくと言っていいほどなく、むしろ縄文時代から続く倭人の朝鮮半島への文化的・武力的支配の影響が大きかったのである。縄文時代からの勾玉・翡翠文化を継承している大和朝廷が、朝鮮系渡来人である可能性はゼロに近い。
これは メッセージ 66806 (kirameku9umi さん)への返信です.
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