天皇(大和朝廷)=渡来人の大嘘①−1
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2011/02/15 11:09 投稿番号: [66697 / 73791]
【第1の間違い】・・・古代の朝鮮が日本より先進的であり、また朝鮮半島や大陸から多くの渡来人がやって来たという誤解。
縄文時代から弥生時代にかけて、大陸から渡って来たとされる支那人の生活文化や土器を伴う集落は発見されていない。つまり支那人がこの時代に日本列島に移住していた痕跡はなく、従って彼らには後に大和朝廷を築くほどの人口もなかったし、それを担うほどの支那文化も伝えられてはいない。
それでは古代朝鮮人は皇室となりえたか?・・・答えはやはり否である。その理由は、縄文時代や弥生時代の日本列島に朝鮮系集落はなかったし、倭人文化の方がはるかに優位に立っていたからだ。
「弥生時代前期後半から北部九州において朝鮮系無紋土器(朝鮮半島で作られたと思われる土器)が、玄界灘沿岸に点在する遺蹟から出土する。ただし、その数は一遺蹟当たり多くて数個程度であり、これらは小規模な交易、土産物、偶然の漂着によってもたらされたに過ぎない」
「この地域には朝鮮系無紋土器を伴う、朝鮮系と見られる諸岡タイプの遺蹟もわずかに存在するが「この朝鮮系とおぼしき集団の居住区は、弥生(倭人)集落エリアの住み心地の悪いほんの一角を占めたに過ぎず、しかも程なく消滅した」
また擬朝鮮系無紋土器(弥生土器の影響を受けて朝鮮系無紋土器から変容した土器)が出土する集落がある。しかし、「その数も10箇所程度であり、確実な出土例は現在のところ北部九州にとどまり、北部九州の弥生遺跡からすれば極わずかだった。それは渡来人集落ではなく、弥生集落の中に渡来人が居たと思われる程度だった」
朝鮮系渡来人の遺蹟が残されている北部九州でさえこの程度の規模なのだ。事実に基づいて客観的に考えれば、この人口と呼べるほどの人数もいない朝鮮系渡来人やその文化が、稲作を始めとする農耕などの文化的先進地の倭国にその後大和朝廷を築き上げるほどの影響力があろうはずがない。
文化の先進性で言えば・・・朝鮮式土器は、半島に移住した縄文人の縄文土器が変容したものだし、生活品・農具・鉄器や武具などの出土品や古墳・集落・建造物・生活文化の規模などは朝鮮半島と比べ物にならないほど倭国のスケールは大きい。
例えば稲作では「遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つかっていないこと、朝鮮半島での確認された炭化米は紀元前2000年が最古で畑作米の確認しか取れないこと(水田跡については日本が2500年前であるのに対して、半島は1500年前)、極東アジアのジャポニカ種稲のDNA分析において、一部遺伝子が朝鮮半島を含む中国東北部稲からは確認されないなどの点から、いまでは朝鮮半島伝来説の支持者は少ない。近年では教科書などからも説が除外された」
これは メッセージ 66696 (kirameku9umi さん)への返信です.
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