Re: わざとボケてるのか??
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2010/11/30 17:37 投稿番号: [65963 / 73791]
>10年20年先に、今のままでは海外の人脈でも韓国に
圧倒的な負けを喫するのは明白。
それはあり得ないと思う。
犬テレビが何を捏造しようとも古代文献・遺跡は捏造出来ない。
即ちこの2000年どころか1万年以上前からトンスル半島と日本の力関係は日本が上。
日本で縄文文化が始まったころはウルム氷河期であり、トンスル半島は乾燥したステップ地帯であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Last_glacial_vegetation_map.png
日本の縄文文化では華麗な土器や土偶が出土するが、トンスル半島の土器は櫛目紋土器といってくしで引っ掻いた様なモノが出る、土偶も小型の物ばかりでろくなものがない。
弥生時代に入ってもアサヒガ氏の引用したブログに有るとおり稲作の伝来にトンスル半島は関係ない。
そもそも古代トンスラーは古代日本に稲作を伝えた稲作民族なのか、古代日本を征服した騎馬民族なのかその両方の主張が出てくるということはそのどちらでないということ。
ちなみにエンコリで考古学者が原三国時代・三国時代における日韓両地域の武器・武具の出土数の比較。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=a4a4a4ha4a4a4h4z9qbeclga4xa5aba5 a6a5sa5ha5c0a5a6a5sa1aa&sid=1143582&mid=47875
では三国時代にどんな民族がトンスル半島に住んでいたのか?
『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳
馬韓
邑落雜居、不能善相制御。無跪拜之禮。居處作草屋土室、形如冢。其戸在上舉家共在中、無長幼男女之別。
倭
倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。有屋室、父母兄弟臥息異處。
その頃のトンスル半島では家の如きものに住んでいた、シナ人の記述では明らかに日本が上だ。
恐るべきことに1500年たってもトンスラーの生活は変化がない。
一般民家
その家屋は石と泥をもって築立し、稲藁を葺いて屋根としている。茅は焚き火の用に使うという。窓が小さく、大人が家に入って立つことが出来ないようだ。たいていの家に「床」というものが無く、土の上に藁むしろを敷いて座す。その狭さ不潔さといい殆ど穴居の類である。
そういう家が表裏の別なく密集し、路地には乱石が磊落して、ほとんど足をいれることが出来ない。村の中央の家に行こうとするには、どの路地をどう曲がっていけばよいのか分からないぐらいである。
寝起きするのも容易でないような家の中にはわずかに1、2の炊具を見る。
ただ、日本人の眼に入るのは、貧家に不釣合いなほど大きな黒色の磁器甕がどこの家にもあるということである。これは木の樽が無いゆえの水を溜める甕であろう。質は頗る堅牢である。
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm
一万年以上日本>>>>>>越えられない壁>>>>>>>トンスル半島
海外留学をしようとも所詮トンスル土人日本人を越えられるわけがない。
圧倒的な負けを喫するのは明白。
それはあり得ないと思う。
犬テレビが何を捏造しようとも古代文献・遺跡は捏造出来ない。
即ちこの2000年どころか1万年以上前からトンスル半島と日本の力関係は日本が上。
日本で縄文文化が始まったころはウルム氷河期であり、トンスル半島は乾燥したステップ地帯であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Last_glacial_vegetation_map.png
日本の縄文文化では華麗な土器や土偶が出土するが、トンスル半島の土器は櫛目紋土器といってくしで引っ掻いた様なモノが出る、土偶も小型の物ばかりでろくなものがない。
弥生時代に入ってもアサヒガ氏の引用したブログに有るとおり稲作の伝来にトンスル半島は関係ない。
そもそも古代トンスラーは古代日本に稲作を伝えた稲作民族なのか、古代日本を征服した騎馬民族なのかその両方の主張が出てくるということはそのどちらでないということ。
ちなみにエンコリで考古学者が原三国時代・三国時代における日韓両地域の武器・武具の出土数の比較。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=a4a4a4ha4a4a4h4z9qbeclga4xa5aba5 a6a5sa5ha5c0a5a6a5sa1aa&sid=1143582&mid=47875
では三国時代にどんな民族がトンスル半島に住んでいたのか?
『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳
馬韓
邑落雜居、不能善相制御。無跪拜之禮。居處作草屋土室、形如冢。其戸在上舉家共在中、無長幼男女之別。
倭
倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。有屋室、父母兄弟臥息異處。
その頃のトンスル半島では家の如きものに住んでいた、シナ人の記述では明らかに日本が上だ。
恐るべきことに1500年たってもトンスラーの生活は変化がない。
一般民家
その家屋は石と泥をもって築立し、稲藁を葺いて屋根としている。茅は焚き火の用に使うという。窓が小さく、大人が家に入って立つことが出来ないようだ。たいていの家に「床」というものが無く、土の上に藁むしろを敷いて座す。その狭さ不潔さといい殆ど穴居の類である。
そういう家が表裏の別なく密集し、路地には乱石が磊落して、ほとんど足をいれることが出来ない。村の中央の家に行こうとするには、どの路地をどう曲がっていけばよいのか分からないぐらいである。
寝起きするのも容易でないような家の中にはわずかに1、2の炊具を見る。
ただ、日本人の眼に入るのは、貧家に不釣合いなほど大きな黒色の磁器甕がどこの家にもあるということである。これは木の樽が無いゆえの水を溜める甕であろう。質は頗る堅牢である。
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm
一万年以上日本>>>>>>越えられない壁>>>>>>>トンスル半島
海外留学をしようとも所詮トンスル土人日本人を越えられるわけがない。
これは メッセージ 65962 (jo_1_11 さん)への返信です.