保守とリベラル
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2010/10/03 11:44 投稿番号: [65408 / 73791]
保守(Conservatism)とは何か、これを簡潔な言葉で表せば「公共を重んじる人々」と言うことになる。
対して、リベラル(liberalism)とは、「個人を重んじる人々」だろう。
戦後の日本社会は、日教組に代表される左翼的リベラルが、一貫して「個人の権利」ばかりを追求してきた時代だった。教育現場では・・・生徒は過度に「個人の権利」を教えられ、「国民としての義務」はおざなりにされてきた。
その結果が、学級崩壊であり、モンスター・ピアレントなど常軌を逸した人々の出現であり、行き過ぎたほどフライバシーや人権をおもんばかるために、虐待される子供たちを救えないという社会の出現である。
左翼的リベラリストは、社会秩序を破壊することが得意な分野だ。彼らが推進する、人権擁護法案、外国人地方参政権、改正移民法、夫婦別姓等々が好事例だろう。
世界には・・・誰もが個人の事しか考えない。そんな価値観を持つ人々が暮らす国家がある。ずばり、それは漢民族が支配する中国だ。彼らには道徳観念や公共を重んじる精神がまったく欠落している。個人だけならまだしも、国家自体が取れるものなら、何でも奪ってやれと言う無法国家だ。尖閣諸島や東シナ海のガス田問題などが良い例だろう。
日本は古より、聖徳太子の17条の憲法「和を持って尊しとなす」の精神が示すように、個人よりも「社会の公共性と義務」に力点が置かれた社会を育んできた。
現在の憲法でも・・・第3章
国民の権利及び義務。第12条
【自由、権利の保持の責任とその濫用の禁止】
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とあるように、過度の個人の権利は公共の福祉に反するとされている。
日本の社会が、世界で最も安定し、暮らしやすいのは、この古から培われてきた「公共の精神」の賜物である。
俺は、人々が個人の権利だけを追求する、公共性や道徳性の失われた、中国のように無味乾燥で殺伐とした社会に生きたくはない。
戦後の左翼教育の集大成のような、左翼プロ市民上がりの政治家がついに首相となった日本。子供たちの未来に大いに不安を感じる。
これは メッセージ 65407 (kirameku9umi さん)への返信です.
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