Re: トピ主さんへ、インドネシア事情
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2006/11/10 20:34 投稿番号: [6506 / 73791]
私は、当初、クアラルンプールにいて、そこでマレー語を習得しました(といっても、もう殆ど忘れてしまいましたが)。
マレー語は、オランダ語が公用語とされていたインドネシアで、日本軍が公用語とし、言語統一教育も行って、インドネシアで共通語化しました(それまでは、商売人だけが共通に使っていた)。
マレー語は、シンガポールでも国語(公用語は4つ)ですし、タイ南部でも使えますので、知っていると、あの界隈では、大変便利ですね。シンガポール人だから、全員英語がしゃべれるなんて事もないですからね、マレー語は、依然、便利です。
住んでいた場所の、すぐそばに住んでいた、日本軍に教育を受けたという老人に教えて貰いました。
丁度、似た方を紹介しているサイトがありましたので、転載します。台湾や東南アジアは、朝鮮と違って、歴史を大事にしますので、当時の事もきちんと語られており、日本人は尊重されます。
朝鮮人のように、侮蔑され、忌避されているところなど、どこにもありません。
『日本軍が上陸しましたが、その当時、マレーの人はどのような気持ちを持っていましたか。
「当時はマレーシアという国ではなく、イギリスの植民地でマラヤと言っていました。マレー人とイギリス人はうまくいっていませんでした。イギリス人はマレー人を押さえつけて、国の仕事にはもちろんマレー人は就けない、マレー人が働いても僅かなお金しか貰えなかった。教育も受けられない。
マレー人に力はなかったのです。一人の人間として認められることはなかった。人間らしい生活はなかったのです。いつの日にか自分たちの国にしようという思いはマレー人にありました。
当時は今と違ってすぐに情報は伝わりません。
ラジオもない、イギリスの新聞はあったがよくわからない。状況は人から人と口伝えで伝わってきたのです。
イギリス軍を撃破して進む日本軍に私たちは歓喜しました。日本人が我々マレー人をたすけに来た。ほんとうに嬉しかった。
マレー人は日本軍を歓呼して迎え入れて協力したのです。
マラヤにはあと中国人がいました。これは町で商売などやっていましたが、日本軍が来るとジャングルに逃げて日本軍と戦いました。ですから中国人は死んだでしょう。
しかしマレー人は死んでいません。
当時私は15歳でした。ペナンにはイギリス軍がいましたがある日、日本軍の飛行機が偵察に来て、その後20機が爆弾を落としていった。
これはイギリス軍の基地だけ攻撃した。その様子を目の前にして、見て私たちマレー人は感動しました。
私たちはイギリス人に蔑まれ虐められていたのですから。お前らはバカだ、人間じゃあないと。
ほんとうに日本軍に感謝しました。」
マレー人を差別したり虐めたりしたことはありましたか。
「まったくありません。
日本軍は私たちに学校教育をうけさせてくれた。日本軍の先生がマレー語で教えてくれました。
仕事もできるようになり、給料もちゃんと払ってくれた。
イギリスがいたときとは全然違います。イギリスは私たちに教育や仕事をやらせなかった。
日本人はマレーをマレー人に任せるようにしたのです。その時のマレーと日本の約束は「お互いに協力していこう」ということでした。マレーは良くなったのです。中国人はジャングルに逃げたままでした。
17歳で日本海軍に入りました。募集していてテストを受けたのです。人気がありました。競争率も高かったはずです。そしてSYOUNANTOU(シンガポール)に行きましたが、このペナンでは25人の青年が行きました。
マレー全体13の州から何人でしょう、人数は正確ではありませんが300人くらいはいたでしょうか。
SYOUNANTOUにはマレーの青年のほかに、
インドネシアの16歳、17歳の優秀な青年もたくさんきていました。」
日本が負けて終わりますが、ペナンではどんな状況でしたか。
「ちゃんと発表しました。給料はもう払えません。ここにあるものは皆さんで使ってくださいと。その後、中国人とイギリス人が戻ってきた。
再び来たイギリス人は以前のような横柄な態度ではなかった。
マレー人は日本人から多くのことを学んだのです。マレー人も以前のマレー人ではありませんでした。」
マラヤでの大東亜戦争を、いま、どう思われていますか。
「DAITOUASENSOUは感謝しています。
DAINIPPONが来なければ今のマレーシアはなかったでしょう。
最大の感謝の気持ちは変わりません。」』
http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page046.html
マレー語は、オランダ語が公用語とされていたインドネシアで、日本軍が公用語とし、言語統一教育も行って、インドネシアで共通語化しました(それまでは、商売人だけが共通に使っていた)。
マレー語は、シンガポールでも国語(公用語は4つ)ですし、タイ南部でも使えますので、知っていると、あの界隈では、大変便利ですね。シンガポール人だから、全員英語がしゃべれるなんて事もないですからね、マレー語は、依然、便利です。
住んでいた場所の、すぐそばに住んでいた、日本軍に教育を受けたという老人に教えて貰いました。
丁度、似た方を紹介しているサイトがありましたので、転載します。台湾や東南アジアは、朝鮮と違って、歴史を大事にしますので、当時の事もきちんと語られており、日本人は尊重されます。
朝鮮人のように、侮蔑され、忌避されているところなど、どこにもありません。
『日本軍が上陸しましたが、その当時、マレーの人はどのような気持ちを持っていましたか。
「当時はマレーシアという国ではなく、イギリスの植民地でマラヤと言っていました。マレー人とイギリス人はうまくいっていませんでした。イギリス人はマレー人を押さえつけて、国の仕事にはもちろんマレー人は就けない、マレー人が働いても僅かなお金しか貰えなかった。教育も受けられない。
マレー人に力はなかったのです。一人の人間として認められることはなかった。人間らしい生活はなかったのです。いつの日にか自分たちの国にしようという思いはマレー人にありました。
当時は今と違ってすぐに情報は伝わりません。
ラジオもない、イギリスの新聞はあったがよくわからない。状況は人から人と口伝えで伝わってきたのです。
イギリス軍を撃破して進む日本軍に私たちは歓喜しました。日本人が我々マレー人をたすけに来た。ほんとうに嬉しかった。
マレー人は日本軍を歓呼して迎え入れて協力したのです。
マラヤにはあと中国人がいました。これは町で商売などやっていましたが、日本軍が来るとジャングルに逃げて日本軍と戦いました。ですから中国人は死んだでしょう。
しかしマレー人は死んでいません。
当時私は15歳でした。ペナンにはイギリス軍がいましたがある日、日本軍の飛行機が偵察に来て、その後20機が爆弾を落としていった。
これはイギリス軍の基地だけ攻撃した。その様子を目の前にして、見て私たちマレー人は感動しました。
私たちはイギリス人に蔑まれ虐められていたのですから。お前らはバカだ、人間じゃあないと。
ほんとうに日本軍に感謝しました。」
マレー人を差別したり虐めたりしたことはありましたか。
「まったくありません。
日本軍は私たちに学校教育をうけさせてくれた。日本軍の先生がマレー語で教えてくれました。
仕事もできるようになり、給料もちゃんと払ってくれた。
イギリスがいたときとは全然違います。イギリスは私たちに教育や仕事をやらせなかった。
日本人はマレーをマレー人に任せるようにしたのです。その時のマレーと日本の約束は「お互いに協力していこう」ということでした。マレーは良くなったのです。中国人はジャングルに逃げたままでした。
17歳で日本海軍に入りました。募集していてテストを受けたのです。人気がありました。競争率も高かったはずです。そしてSYOUNANTOU(シンガポール)に行きましたが、このペナンでは25人の青年が行きました。
マレー全体13の州から何人でしょう、人数は正確ではありませんが300人くらいはいたでしょうか。
SYOUNANTOUにはマレーの青年のほかに、
インドネシアの16歳、17歳の優秀な青年もたくさんきていました。」
日本が負けて終わりますが、ペナンではどんな状況でしたか。
「ちゃんと発表しました。給料はもう払えません。ここにあるものは皆さんで使ってくださいと。その後、中国人とイギリス人が戻ってきた。
再び来たイギリス人は以前のような横柄な態度ではなかった。
マレー人は日本人から多くのことを学んだのです。マレー人も以前のマレー人ではありませんでした。」
マラヤでの大東亜戦争を、いま、どう思われていますか。
「DAITOUASENSOUは感謝しています。
DAINIPPONが来なければ今のマレーシアはなかったでしょう。
最大の感謝の気持ちは変わりません。」』
http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page046.html
これは メッセージ 6481 (clubmsa456 さん)への返信です.