Re: NHK出版の新刊本
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2010/08/30 21:26 投稿番号: [65017 / 73791]
>これ、魏志倭人伝ですか?
三國志の魏書、いわゆる魏志倭人伝です。
『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳の馬韓に関する記述。
現在のトンスラーの先祖は馬韓=百済人とはえんもゆかりもない野蛮人エベンキ族と判明している。
其俗少綱紀、國邑雖有主帥、邑落雜居、不能善相制御。無跪拜之禮。居處作草屋土室、形如冢。其戸在上舉家共在中、無長幼男女之別。
その習俗には綱紀が少なく、国邑に主帥(主君)がいるけれど、邑落で雑居し、善く互いを制御することができない。跪拜の礼はない。住居は草屋根に土の室とし、形は家の如し。その扉は上部にあり、家族全員で共に暮らし、長幼男女の別はない。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-mokuji.htm
その魏志倭人伝の記録。
倭地溫暖、冬夏食生菜、皆徒跣。有屋室、父母兄弟臥息異處、以朱丹塗其身體、如中國用粉也。食飲用籩豆、手食。其死、有棺無槨、封土作家。始死停喪十餘日、當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。已葬、舉家詣水中澡浴、以如練沐。
倭の地は温暖、冬や夏も生野菜を食べ、皆が裸足で歩いている。屋室があるが、父母兄弟は寝室を別とする。朱丹を身体に塗り、中国の白粉を用いるが如きである。飲食には御膳を用い、手で食べる。死ねば、棺(かんおけ)はあるが槨(かく=墓室)はなく、土で密封して塚を作る。死去から十余日で喪は終わるが、服喪の時は肉を食べず、喪主は哭泣し、他の人々は歌舞や飲酒をする。葬儀が終われば、家人は皆が水中で水浴び(禊だと思うが、原文の入浴に従った)をする。練沐(練り絹を着ての沐浴)のようである。
この記述を見れば当時のトンスル半島と日本の文化の差は明らか。
恐るべきことにトンスル半島で日本人は1500年以上経って同じ光景をみることになる。
一般民家
その家屋は石と泥をもって築立し、稲藁を葺いて屋根としている。茅は焚き火の用に使うという。窓が小さく、大人が家に入って立つことが出来ないようだ。たいていの家に「床」というものが無く、土の上に藁むしろを敷いて座す。その狭さ不潔さといい殆ど穴居の類である。
そういう家が表裏の別なく密集し、路地には乱石が磊落して、ほとんど足をいれることが出来ない。村の中央の家に行こうとするには、どの路地をどう曲がっていけばよいのか分からないぐらいである。
寝起きするのも容易でないような家の中にはわずかに1、2の炊具を見る。
ただ、日本人の眼に入るのは、貧家に不釣合いなほど大きな黒色の磁器甕がどこの家にもあるということである。これは木の樽が無いゆえの水を溜める甕であろう。質は頗る堅牢である。
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm
魏志の記録と全く同じではないか。
100年前のトンスラーは木を曲げる技術が存在せず、従って土の甕。
こんな状況で、どうやって朝鮮通信士が何の文化を伝えたんだろうか?
古代よりトンスル半島は文化・文明と無縁の土地だ。
三國志の魏書、いわゆる魏志倭人伝です。
『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳の馬韓に関する記述。
現在のトンスラーの先祖は馬韓=百済人とはえんもゆかりもない野蛮人エベンキ族と判明している。
其俗少綱紀、國邑雖有主帥、邑落雜居、不能善相制御。無跪拜之禮。居處作草屋土室、形如冢。其戸在上舉家共在中、無長幼男女之別。
その習俗には綱紀が少なく、国邑に主帥(主君)がいるけれど、邑落で雑居し、善く互いを制御することができない。跪拜の礼はない。住居は草屋根に土の室とし、形は家の如し。その扉は上部にあり、家族全員で共に暮らし、長幼男女の別はない。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-mokuji.htm
その魏志倭人伝の記録。
倭地溫暖、冬夏食生菜、皆徒跣。有屋室、父母兄弟臥息異處、以朱丹塗其身體、如中國用粉也。食飲用籩豆、手食。其死、有棺無槨、封土作家。始死停喪十餘日、當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。已葬、舉家詣水中澡浴、以如練沐。
倭の地は温暖、冬や夏も生野菜を食べ、皆が裸足で歩いている。屋室があるが、父母兄弟は寝室を別とする。朱丹を身体に塗り、中国の白粉を用いるが如きである。飲食には御膳を用い、手で食べる。死ねば、棺(かんおけ)はあるが槨(かく=墓室)はなく、土で密封して塚を作る。死去から十余日で喪は終わるが、服喪の時は肉を食べず、喪主は哭泣し、他の人々は歌舞や飲酒をする。葬儀が終われば、家人は皆が水中で水浴び(禊だと思うが、原文の入浴に従った)をする。練沐(練り絹を着ての沐浴)のようである。
この記述を見れば当時のトンスル半島と日本の文化の差は明らか。
恐るべきことにトンスル半島で日本人は1500年以上経って同じ光景をみることになる。
一般民家
その家屋は石と泥をもって築立し、稲藁を葺いて屋根としている。茅は焚き火の用に使うという。窓が小さく、大人が家に入って立つことが出来ないようだ。たいていの家に「床」というものが無く、土の上に藁むしろを敷いて座す。その狭さ不潔さといい殆ど穴居の類である。
そういう家が表裏の別なく密集し、路地には乱石が磊落して、ほとんど足をいれることが出来ない。村の中央の家に行こうとするには、どの路地をどう曲がっていけばよいのか分からないぐらいである。
寝起きするのも容易でないような家の中にはわずかに1、2の炊具を見る。
ただ、日本人の眼に入るのは、貧家に不釣合いなほど大きな黒色の磁器甕がどこの家にもあるということである。これは木の樽が無いゆえの水を溜める甕であろう。質は頗る堅牢である。
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm
魏志の記録と全く同じではないか。
100年前のトンスラーは木を曲げる技術が存在せず、従って土の甕。
こんな状況で、どうやって朝鮮通信士が何の文化を伝えたんだろうか?
古代よりトンスル半島は文化・文明と無縁の土地だ。
これは メッセージ 64995 (eggusandot さん)への返信です.