日本も天皇も朝鮮が作った、東海は元来
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/11/08 23:53 投稿番号: [6385 / 73791]
朝鮮が呼称していた海。ま、両国の歴史学者による徹底的な究明が待たれる。儂も参加したいが、ダメじゃろな。ま、以下のような見解もある。ぜひ韓国紙は一見してもらいたい。
■5.日本は朝鮮民族が作った国!?■
<略>
日本は7世紀未から国家形成期に入った。それ以前の日
本は三韓・伽や(ニンベンに椰のつくりの部分)・百済など
が自分の領土の一部として統治してきた。しかし660年、
百済が滅亡し、その後裔らが続けて行った〈百済〉復興運
動が失敗するや日本列島は自らの歴史期に入ったのだ。夫
餘氏家門が日王家〔天皇家―引用者注)を形成し、新羅
系・百済系・高句麗系が武力で王族や貴族集団を構築した。
彼らは新しい文化や伝統を普及させる一方で、土着原住民
を制圧し、列島全域へと勢力を広げ、支配力を確保して日
本を建設した。
この歴史観なら、日韓併合も、分家と本家が再合併したよう
なものだから、非難されるいわれはないのだが、それはまた別
の話らしい。
■6.皇室のルーツは百済!?■
<略>
最初に日本を支配した天皇は、百済人の末裔である15
代・応神天皇(4世紀)と仁徳天皇(5世紀)父子であった。
(中略)6世紀に百済の武寧王の弟が26代・継体天皇に
なった以後、百済の王族が7世紀末まで即位した。百済の
聖王もやはり日本の天皇であるという主張がある。百済の
聖王が540年に高句麗を攻撃して失敗し、540年に日
本に渡って29代・欽明天皇になったというもの。33
代・推古天皇(6世紀末〜7世紀初)は、百済の王族の純
粋な血統を引く日本最初の正式な女王である。その夫・敏
達天皇(6世紀)も百済人王族である。
これは平成13年12月23日に、天皇陛下が「私自身とし
ては桓武天皇の生母が武寧王の子孫であると、続日本記(しょ
くにほんぎ)に記されていることに、韓国とのゆかりを感じて
います。」と述べられた御言葉を、東亜日報が報道した記事の
一節である。
天皇は、「桓武天皇の生母が武寧王の子孫」という歴史的文
献に記載された事をそのまま述べられただけなのだが、これが
韓国マスコミでは、「皇室の起源は韓国」というトンデモ史観
にすり替えられて大々的に報道された。なかには、「強い衝撃
/日本マスコミ、百済部分省き報道」などと、日本のマスコミ
がこの「真実」を隠そうとしたと報道した韓国紙まであった。
日本の皇室のルーツが朝鮮にあった、というトンデモ史観は、
韓国内で広く信じ込まれているそうな。ついにそれを「日王
家」自身が認めた、やっぱり、という事なのだろう。本当にそ
う信じるなら、皇室は朝鮮民族最古の王族家系なのだから、
「偉大なる朝鮮民族の象徴」として尊崇してしかるべきだろう。
もちろん韓国の学界では、こんなトンデモ史観はほとんど支
持されていない。韓国での日本古代史の権威・高麗大学の金鉉
球教授は、「日本の天皇家の百済起源説を主張する本も出てき
ているが、史料の恣意的な解釈など歴史研究者の立場から見る
とき学問的成果として受け入れられない」と述べている。
■7.万葉集は朝鮮語で書かれている!?■
<略>
たとえば、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌に次のようなもの
がある。
金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
秋の野のみ草刈(か)り葺(ふ)き宿(やど)れりし宇治(う
じ)の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思(おも)ほゆ
(秋の野のみ草を刈って屋根を葺いて、泊まった宇治の宮
処の仮の宿のことが思い出される。)
これが李寧熙にかかると、朝鮮語で次のような意味になると
いう。
新羅よ 刀研いで注ぎ 締め苦しむなかれ
お上の都は 刀が 来るから来襲に備えよ
<以下全文>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog261.html
○爺
■5.日本は朝鮮民族が作った国!?■
<略>
日本は7世紀未から国家形成期に入った。それ以前の日
本は三韓・伽や(ニンベンに椰のつくりの部分)・百済など
が自分の領土の一部として統治してきた。しかし660年、
百済が滅亡し、その後裔らが続けて行った〈百済〉復興運
動が失敗するや日本列島は自らの歴史期に入ったのだ。夫
餘氏家門が日王家〔天皇家―引用者注)を形成し、新羅
系・百済系・高句麗系が武力で王族や貴族集団を構築した。
彼らは新しい文化や伝統を普及させる一方で、土着原住民
を制圧し、列島全域へと勢力を広げ、支配力を確保して日
本を建設した。
この歴史観なら、日韓併合も、分家と本家が再合併したよう
なものだから、非難されるいわれはないのだが、それはまた別
の話らしい。
■6.皇室のルーツは百済!?■
<略>
最初に日本を支配した天皇は、百済人の末裔である15
代・応神天皇(4世紀)と仁徳天皇(5世紀)父子であった。
(中略)6世紀に百済の武寧王の弟が26代・継体天皇に
なった以後、百済の王族が7世紀末まで即位した。百済の
聖王もやはり日本の天皇であるという主張がある。百済の
聖王が540年に高句麗を攻撃して失敗し、540年に日
本に渡って29代・欽明天皇になったというもの。33
代・推古天皇(6世紀末〜7世紀初)は、百済の王族の純
粋な血統を引く日本最初の正式な女王である。その夫・敏
達天皇(6世紀)も百済人王族である。
これは平成13年12月23日に、天皇陛下が「私自身とし
ては桓武天皇の生母が武寧王の子孫であると、続日本記(しょ
くにほんぎ)に記されていることに、韓国とのゆかりを感じて
います。」と述べられた御言葉を、東亜日報が報道した記事の
一節である。
天皇は、「桓武天皇の生母が武寧王の子孫」という歴史的文
献に記載された事をそのまま述べられただけなのだが、これが
韓国マスコミでは、「皇室の起源は韓国」というトンデモ史観
にすり替えられて大々的に報道された。なかには、「強い衝撃
/日本マスコミ、百済部分省き報道」などと、日本のマスコミ
がこの「真実」を隠そうとしたと報道した韓国紙まであった。
日本の皇室のルーツが朝鮮にあった、というトンデモ史観は、
韓国内で広く信じ込まれているそうな。ついにそれを「日王
家」自身が認めた、やっぱり、という事なのだろう。本当にそ
う信じるなら、皇室は朝鮮民族最古の王族家系なのだから、
「偉大なる朝鮮民族の象徴」として尊崇してしかるべきだろう。
もちろん韓国の学界では、こんなトンデモ史観はほとんど支
持されていない。韓国での日本古代史の権威・高麗大学の金鉉
球教授は、「日本の天皇家の百済起源説を主張する本も出てき
ているが、史料の恣意的な解釈など歴史研究者の立場から見る
とき学問的成果として受け入れられない」と述べている。
■7.万葉集は朝鮮語で書かれている!?■
<略>
たとえば、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌に次のようなもの
がある。
金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
秋の野のみ草刈(か)り葺(ふ)き宿(やど)れりし宇治(う
じ)の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思(おも)ほゆ
(秋の野のみ草を刈って屋根を葺いて、泊まった宇治の宮
処の仮の宿のことが思い出される。)
これが李寧熙にかかると、朝鮮語で次のような意味になると
いう。
新羅よ 刀研いで注ぎ 締め苦しむなかれ
お上の都は 刀が 来るから来襲に備えよ
<以下全文>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog261.html
○爺
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.