百済本記を読む
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2010/02/27 19:46 投稿番号: [62983 / 73791]
俺は前回新羅本記において新羅の弱小ぶりを証明した。
トンスラーがなぜ日本の皇室が新羅系或いは百済系とか訳の分からない妄想出てくるのか不思議だ。
百済本記と新羅本記にはそんなことは一言も書いてない。
では三國史記
卷第二十五
百済本紀第三
阿ち王
十二年
春二月
倭國使者至
王迎勞之特厚
秋七月
遣兵侵新羅邊境
倭国の使者を王自ら手厚く歓待している、これは日本書紀の記述と一致する。
三國史記
卷第二十五
百済本紀第三
腆支王
腆支王
或云直支
梁書名映
阿之元子
阿在位第三年
立爲太子
六年
出質於倭國
十四年
王薨
王仲弟訓解攝政
以待太子還國
季弟禮殺訓解
自立爲王
腆支在倭聞訃
哭泣請歸
倭王以兵士百人衛送
既至國界
漢城人解忠來告曰
大王棄世
王弟禮殺兄自王
願太子無輕入
腆支留倭人自衛
依海島以待之
國人殺禮
迎支即位
妃八須夫人
生子久辛
腆支王は百済の人質1号だ、泣いて帰国を日本国の天皇にお願いし、日本兵百人の護衛の兵で帰国し、勝手に即位した弟を殺してる。
当時の天皇は日本兵百人もいれば百済を制圧出来ると考えていたんだろうな。
そして事実その通りになった。
やっぱり百済も新羅も弱小国家。
これはトンスラーの歴史書に書いてある事だ。
俺はトンスラーの歴史書に基づいて話しをしている。
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