Re: 龍馬伝
投稿者: tuki_hime_kikurin09 投稿日時: 2010/01/05 20:15 投稿番号: [62122 / 73791]
初めまして、こんにちは。
ちょいと横です。
>龍馬伝は読んだことがないけど、司馬遼太郎だってもっとユーモアがありましたね(笑)
実は今度の大河ドラマは原作なないそうなんです。すべてオリジナル脚本。
脚本家はフジテレビなどでドラマや映画の脚本で有名な福田靖氏。
オリジナルですが、原案はあるはずで、どの龍馬をイメージして描かれるのかは脚本家と、NHKのプロデューサーの主観のみだと思われます。
脚本家とプロデューサー(鈴木圭)や時代考証をしている人などを見るようになりました。
NHK「坂の上の雲」は司馬遼太郎氏の本が原作となっています。司馬氏は原作が脚本によって歪曲されたり変わってしまうことを嫌い、ドラマ化、映画化することには難色を示していたそうですが、今回は納得して許可を出したようです(遺族の方が)
しかし、その期待は見事に裏切られ、一部の司馬ファンからは批判もあるようですね。
また、「坂の上の雲」は今度、裁判になる「ジャパン・デビュー」を作ったNHK「プロジェクトジャパン」の一環でもあります。
二つは同じ制作の一環としてなされているものですね。
幕末(龍馬伝)と坂の上・・とジャパンデビューは巧妙に繋がっているものだと思います。
「坂の上の雲」の脚本は野沢尚氏ですが、この脚本を書き上げた後なのか、途中なのか原因不明の自殺を遂げています。
ドラマとして面白くみたい・・・そういう気持ちは私にもあったのですが、裏を見れば、なんともNHKの思惑が闇に潜んでいるように思われて仕方ありません。
無名の坂本龍馬が世に出て勤皇の志士と崇められたのは司馬氏の「竜馬がゆく」という小説がきっかけとも聞きます。
おそらく、それから現在に続く龍馬像は司馬氏の小説が元になっているのでしょう。
土佐藩の上士と下士の身分の差別は他藩と比べて一番きついものとなっていたようです。
<土佐藩の領域は戦国時代末期には長宗我部氏が治めていた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて長宗我部盛親は西軍に与し改易となった。豊臣氏恩顧の大名で遠江国掛川(現在の静岡県掛川市付近)を治めていた山内一豊は東軍(徳川家康方)に味方したため大幅な加増を受けて、土佐一国24万2千石を与えられこの地を治めることとなった。以来、明治時代初頭まで山内氏が治めた。
土佐には一領具足と呼ばれた長宗我部氏の旧臣が存在しており、彼らは藩政当初より新領主に馴染まず反乱を繰り返した。山内氏は藩政の中枢には彼らを入れず高知城下に住む山内系の武士(上士)と、長宗我部氏の旧臣(郷士)の二重構造が幕末まで続いた>
山内一豊が引き連れてきた家臣が上士であり、長宗我部氏の旧臣が下士(郷士含む)ということだそうです。
こういう事実をナレーションでもいいから入れてほしかったと思いました。
思いっきりの横、トビずれ失礼しました。
ちょいと横です。
>龍馬伝は読んだことがないけど、司馬遼太郎だってもっとユーモアがありましたね(笑)
実は今度の大河ドラマは原作なないそうなんです。すべてオリジナル脚本。
脚本家はフジテレビなどでドラマや映画の脚本で有名な福田靖氏。
オリジナルですが、原案はあるはずで、どの龍馬をイメージして描かれるのかは脚本家と、NHKのプロデューサーの主観のみだと思われます。
脚本家とプロデューサー(鈴木圭)や時代考証をしている人などを見るようになりました。
NHK「坂の上の雲」は司馬遼太郎氏の本が原作となっています。司馬氏は原作が脚本によって歪曲されたり変わってしまうことを嫌い、ドラマ化、映画化することには難色を示していたそうですが、今回は納得して許可を出したようです(遺族の方が)
しかし、その期待は見事に裏切られ、一部の司馬ファンからは批判もあるようですね。
また、「坂の上の雲」は今度、裁判になる「ジャパン・デビュー」を作ったNHK「プロジェクトジャパン」の一環でもあります。
二つは同じ制作の一環としてなされているものですね。
幕末(龍馬伝)と坂の上・・とジャパンデビューは巧妙に繋がっているものだと思います。
「坂の上の雲」の脚本は野沢尚氏ですが、この脚本を書き上げた後なのか、途中なのか原因不明の自殺を遂げています。
ドラマとして面白くみたい・・・そういう気持ちは私にもあったのですが、裏を見れば、なんともNHKの思惑が闇に潜んでいるように思われて仕方ありません。
無名の坂本龍馬が世に出て勤皇の志士と崇められたのは司馬氏の「竜馬がゆく」という小説がきっかけとも聞きます。
おそらく、それから現在に続く龍馬像は司馬氏の小説が元になっているのでしょう。
土佐藩の上士と下士の身分の差別は他藩と比べて一番きついものとなっていたようです。
<土佐藩の領域は戦国時代末期には長宗我部氏が治めていた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて長宗我部盛親は西軍に与し改易となった。豊臣氏恩顧の大名で遠江国掛川(現在の静岡県掛川市付近)を治めていた山内一豊は東軍(徳川家康方)に味方したため大幅な加増を受けて、土佐一国24万2千石を与えられこの地を治めることとなった。以来、明治時代初頭まで山内氏が治めた。
土佐には一領具足と呼ばれた長宗我部氏の旧臣が存在しており、彼らは藩政当初より新領主に馴染まず反乱を繰り返した。山内氏は藩政の中枢には彼らを入れず高知城下に住む山内系の武士(上士)と、長宗我部氏の旧臣(郷士)の二重構造が幕末まで続いた>
山内一豊が引き連れてきた家臣が上士であり、長宗我部氏の旧臣が下士(郷士含む)ということだそうです。
こういう事実をナレーションでもいいから入れてほしかったと思いました。
思いっきりの横、トビずれ失礼しました。
これは メッセージ 62111 (kirameku9umi さん)への返信です.