Re: いよいよ韓国消滅へカウントダウン!
投稿者: unkai1956 投稿日時: 2006/08/22 19:01 投稿番号: [621 / 73791]
私は工学系なので雑学の域を出ていませんが、足立啓二著「専制国家論」や松原久子・西尾幹二氏の著書等を引用しながら、日本と中朝の共同体としての村を比較しながら、日本人がいかにして公共心や道徳心・勤勉性を育んだのかについての私見です。
江戸時代、日本の村は共同で仕事を行い、道路の建設修理、水利、河川の管理、入会山の管理、消防などその業務は多岐にわたっていた。個々の家族だけでは実行できないような仕事を村は肩代わりした。葬儀も行われる。草の確保や燃料の準備、田植えなどの農業再生産のためのさまざまな共同活動を行っている。
また、農民は庄屋や地主の横暴の犠牲になる心配はほとんど無かった。税の額は決して農民の頭越しにお上によって一方的に決定されたのではなく、納税額を決める際に、農民は村の代表者を通して協議・決定に参加する権利を持っていたのである。
税体系も最大限に公正を期した整備が試みられており、土地の地味、日当たりの具合、灌漑の効率化等を考慮して全ての水田が測量された。米による納税額の査定基準の公正と公平が保たれるような知恵が絞られていたのである。(戦後マルクス史観立って教えられてきた、支配階級の農民搾取は、日本においては実態に反するものである。それの裏づけ資料として、しばしば行われた大飢饉の際の幕府や諸藩による無料炊き出し、一揆の発生率の低さなどが上げられる)
一方、同時代の中国の農村で行う業務はきわめて限られている。「看青」と呼ばれる農作物の窃盗防止のための監視作業ぐらいが共同作業で、道路の修理すら私的に僅かばかりの場所を補修するだけ。そもそも中国の村には村人所有の総和としての土地が無い。 そればかりか村としての団体の固有空間がないので、よそ者が自分勝手に土地にいすわっても一向に構わないという、砂のような集団でしかない。もちろんどこに行こうが勝手で村の共同体としての意識はほとんどない。
朝鮮人の農民が、農奴以下の扱いであったことは周知の事実。
余談だが・・・ヨーロッパの農民は農奴そのもので、貴族から搾取され、もっと収穫をあげろといつも鞭で叩かれ、貧しく、反抗的で、常に暴動を企み、藁の上にねて、やっと一年に一度新しいズボンを、5年に一度一足の靴を手に入れ、訴生涯一度も風呂に入らず、自立することも読み書きも出来ない人々である。
つまり日本の村は紛れも無く一つの自治団体で、公権の主体でもあったのに対して、中国やヨーロッパ人の村落はそうした団体的性格を持っていない。これら公共的営みがもたらす農民生活や意識の在り方が、世界でも評価の高い日本人の公共性・道徳心・協調性・勤労性を育んだ。これが中国・朝鮮と日本人の国民性の相違が生まれた土壌なのは確かなようだ。
近年、地方の都市化が進み、このような自治的集団や共同作業の喪失が、日本社会にモラルハザードをもたらしている側面も見逃しに出来ないのでは無ないだろうか。
江戸時代、日本の村は共同で仕事を行い、道路の建設修理、水利、河川の管理、入会山の管理、消防などその業務は多岐にわたっていた。個々の家族だけでは実行できないような仕事を村は肩代わりした。葬儀も行われる。草の確保や燃料の準備、田植えなどの農業再生産のためのさまざまな共同活動を行っている。
また、農民は庄屋や地主の横暴の犠牲になる心配はほとんど無かった。税の額は決して農民の頭越しにお上によって一方的に決定されたのではなく、納税額を決める際に、農民は村の代表者を通して協議・決定に参加する権利を持っていたのである。
税体系も最大限に公正を期した整備が試みられており、土地の地味、日当たりの具合、灌漑の効率化等を考慮して全ての水田が測量された。米による納税額の査定基準の公正と公平が保たれるような知恵が絞られていたのである。(戦後マルクス史観立って教えられてきた、支配階級の農民搾取は、日本においては実態に反するものである。それの裏づけ資料として、しばしば行われた大飢饉の際の幕府や諸藩による無料炊き出し、一揆の発生率の低さなどが上げられる)
一方、同時代の中国の農村で行う業務はきわめて限られている。「看青」と呼ばれる農作物の窃盗防止のための監視作業ぐらいが共同作業で、道路の修理すら私的に僅かばかりの場所を補修するだけ。そもそも中国の村には村人所有の総和としての土地が無い。 そればかりか村としての団体の固有空間がないので、よそ者が自分勝手に土地にいすわっても一向に構わないという、砂のような集団でしかない。もちろんどこに行こうが勝手で村の共同体としての意識はほとんどない。
朝鮮人の農民が、農奴以下の扱いであったことは周知の事実。
余談だが・・・ヨーロッパの農民は農奴そのもので、貴族から搾取され、もっと収穫をあげろといつも鞭で叩かれ、貧しく、反抗的で、常に暴動を企み、藁の上にねて、やっと一年に一度新しいズボンを、5年に一度一足の靴を手に入れ、訴生涯一度も風呂に入らず、自立することも読み書きも出来ない人々である。
つまり日本の村は紛れも無く一つの自治団体で、公権の主体でもあったのに対して、中国やヨーロッパ人の村落はそうした団体的性格を持っていない。これら公共的営みがもたらす農民生活や意識の在り方が、世界でも評価の高い日本人の公共性・道徳心・協調性・勤労性を育んだ。これが中国・朝鮮と日本人の国民性の相違が生まれた土壌なのは確かなようだ。
近年、地方の都市化が進み、このような自治的集団や共同作業の喪失が、日本社会にモラルハザードをもたらしている側面も見逃しに出来ないのでは無ないだろうか。
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.