Re: 歪曲しても無理だろうが?(猛爆)
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/09/04 19:39 投稿番号: [59686 / 73791]
>【当時の新聞に見る朝鮮人の不法入国】
密入国者は逮捕されたわけだな。で、どうなったかと言えば、大村朝鮮収容所送りになったわけだな。
で、肝心の密入国者の子孫は、どういう経緯で何名が日本に残留する事になったと言う問いには答えてないが?(猛爆)
ttp://www.asahi-net.or.jp/~na5r-wkmt/kaihou020-1.html
3.2 「大村朝鮮人収容所」の時代
このように、学習室のホワイトボードに残された内容は、大村入国管理センターの過去の姿を、見学に訪れたわたしたちに思い起こさせるものでした。
大村入国管理センターが新たに誕生したのは1993年、それ以前の大村収容所時代は、かつて(在日)韓国・朝鮮人ばかりを追放の対象として収容し、ときに彼ら彼女らを長期収容したこともあって、「大村朝鮮人収容所」、「刑期なき牢獄」とも呼ばれていました。
大村収容所、正確には法務省大村入国者収容所が現在の場所に設置されたのは、朝鮮戦争が勃発する1950年です。終戦時に日本にいた旧植民地出身者(朝鮮人や台湾人)は、まもなく、帰国する人と日本に残留する人に分かれましたが、当時は自国と日本の間の自由な移動を制限されたために、引揚と残留の狭間で離散家族になる人も少なくありませんでした。そのようななか、家族再会のために再渡航し不法入国者として捕らえられた者、戦前からの日本居住者だが刑余者として退去強制になった者、戦争難民なのに密入国者として検挙された者など、理不尽な取締りが、とりわけ朝鮮半島出身者の間に相次ぎ、収容先の大村収容所は彼ら彼女らでごった返していました。
そこでは、現在と違って、幼児から老人に至まで無差別に収容され、送還までの「船待場」でありながら面会や通信(電話、手紙)の自由も制限されていました。また、収容所の外には、高さ5メートルのコンクリ−ト壁が囲い、監視塔も立つなど、現在の姿からは想像もつかないほど陰惨な雰囲気を漂わせていました。
収容所設置から20年間の歴史をまとめた『大村収容所二十年史』によれば、1950年12月から1970年9月末までに大村収容所内部で起きた事件は、騒擾事件34件、ハンスト22件、自損行為27件(自殺既遂4件、同未遂16件、自損7件)、暴行事件49件、逃走事件35件70名、その他、脱棟、放火未遂、退去強制令書破棄、嬰児遺棄、告訴等42件。またこの間、合計75回にわたり16,391名の(在日)韓国・朝鮮人が強制送還されています。この中には、密航者、刑余者、政治犯とみなされた様々な人びとが含まれており、長崎と釜山の間の海峡を何度となく渡った人もいます。
(在日)韓国・朝鮮人への植民地支配は、終戦を境に消えたわけではありません。指紋押捺や参政権問題と同様に、大村収容所の存在もまた、戦後においてもなお(在日)韓国・朝鮮人に従属を強いたことを如実に物語っているのです。
密入国者は逮捕されたわけだな。で、どうなったかと言えば、大村朝鮮収容所送りになったわけだな。
で、肝心の密入国者の子孫は、どういう経緯で何名が日本に残留する事になったと言う問いには答えてないが?(猛爆)
ttp://www.asahi-net.or.jp/~na5r-wkmt/kaihou020-1.html
3.2 「大村朝鮮人収容所」の時代
このように、学習室のホワイトボードに残された内容は、大村入国管理センターの過去の姿を、見学に訪れたわたしたちに思い起こさせるものでした。
大村入国管理センターが新たに誕生したのは1993年、それ以前の大村収容所時代は、かつて(在日)韓国・朝鮮人ばかりを追放の対象として収容し、ときに彼ら彼女らを長期収容したこともあって、「大村朝鮮人収容所」、「刑期なき牢獄」とも呼ばれていました。
大村収容所、正確には法務省大村入国者収容所が現在の場所に設置されたのは、朝鮮戦争が勃発する1950年です。終戦時に日本にいた旧植民地出身者(朝鮮人や台湾人)は、まもなく、帰国する人と日本に残留する人に分かれましたが、当時は自国と日本の間の自由な移動を制限されたために、引揚と残留の狭間で離散家族になる人も少なくありませんでした。そのようななか、家族再会のために再渡航し不法入国者として捕らえられた者、戦前からの日本居住者だが刑余者として退去強制になった者、戦争難民なのに密入国者として検挙された者など、理不尽な取締りが、とりわけ朝鮮半島出身者の間に相次ぎ、収容先の大村収容所は彼ら彼女らでごった返していました。
そこでは、現在と違って、幼児から老人に至まで無差別に収容され、送還までの「船待場」でありながら面会や通信(電話、手紙)の自由も制限されていました。また、収容所の外には、高さ5メートルのコンクリ−ト壁が囲い、監視塔も立つなど、現在の姿からは想像もつかないほど陰惨な雰囲気を漂わせていました。
収容所設置から20年間の歴史をまとめた『大村収容所二十年史』によれば、1950年12月から1970年9月末までに大村収容所内部で起きた事件は、騒擾事件34件、ハンスト22件、自損行為27件(自殺既遂4件、同未遂16件、自損7件)、暴行事件49件、逃走事件35件70名、その他、脱棟、放火未遂、退去強制令書破棄、嬰児遺棄、告訴等42件。またこの間、合計75回にわたり16,391名の(在日)韓国・朝鮮人が強制送還されています。この中には、密航者、刑余者、政治犯とみなされた様々な人びとが含まれており、長崎と釜山の間の海峡を何度となく渡った人もいます。
(在日)韓国・朝鮮人への植民地支配は、終戦を境に消えたわけではありません。指紋押捺や参政権問題と同様に、大村収容所の存在もまた、戦後においてもなお(在日)韓国・朝鮮人に従属を強いたことを如実に物語っているのです。
これは メッセージ 59680 (kirameku9umi さん)への返信です.