Re: 朝鮮使節とは
投稿者: shinacyonnashi 投稿日時: 2009/08/20 22:55 投稿番号: [59001 / 73791]
>江戸徳川幕府が招いた朝鮮使節というのは、日本は独自に文化も学問も持っていたけれど中国のこともどん欲に学ぶ為にお金を出して朝鮮人を呼んだ
違う
秀吉のチョウセン征伐後、徳川家康はチョウセンとの付き合いを再開した
その後徳川幕府の将軍が変わるたびに、チョウセンから徳川幕府にお祝いを言いに来る慶賀使節として、朝鮮通信使が江戸に来るようになっただけ
チョウセンから、「将軍様に新しくおなりになっておめでとうございます」と江戸に挨拶に伺ってたわけだ
でっ、その朝鮮通信使は下関あたりに上陸してから陸路江戸まで旅をするが、途中の京、大坂、尾張名古屋、そして江戸と見るたびに「チョウセンにはこのように立派な町はない」と悔しがっている
その上、「この発展した地が野蛮人の倭人の土地であるというのが妬ましい」とも書き残している
この時も今もチョウセン人の考えることは同じ
おまけに、チョウセン通信使が通過する沿線にはものめずらしいチョウセンの行列を見物にくる人もいたが、沿線に住む人はチョウセン通信使の面々が飼ってる鶏は盗むわ、野菜は盗むわ、でチョウセンのことを卑しい輩と散々にけなしている文書も残っている
やっぱりここでも昔からチョウセン人はチョウセン人
朝鮮通信使が日本に文化を伝えた、というのは、チョウセン人の自慰妄想であり、日本は朝鮮半島南部を古墳時代から飛鳥時代に支配していたし、鎌倉時代初期あたりには文化的にも経済的にも日本がチョウセンを凌駕していたという研究もある
その朝鮮通信使を日本に物を教えてやったニダというのはチョウセン人と相場は決まっています
これは メッセージ 58989 (eggusandot さん)への返信です.
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