Re: 犬HKから返信が来た!
投稿者: asahiga2423 投稿日時: 2009/07/03 21:43 投稿番号: [57757 / 73791]
古代史などには疎い者ですが、インターネットで調べるだけでは危ういかもしれぬと、念のために著名な百科事典をひもといてみました。
貴方のおっしゃる通り、勾玉は日本→朝鮮半島ですネ。
他の方のご参考にもなるかと思うので、コピペします。
平凡社版、小学館版共に1980年頃に書かれた百科事典です。
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平凡社 世界大百科事典、「勾玉」の項
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湾曲した体の一端に近く緒をとおす孔をうがった玉。湾曲した形を〈まがたま〉と名づけたのであろう。《日本書紀》は勾玉と記し,《古事記》は曲玉の字を用いる。はじめ曲玉の字をあてたが,曲には曲直などの熟語にみるように悪い意味もあるので,勾玉に改めたという説が有力である。
(途中引用省略)
勾玉は日本で独自に発達した玉の形である。縄文時代から使用しているので,動物の歯牙の基部に孔をあけて用いたのが原形であろうという説がある。ただし縄文時代の石製勾玉には,材料の形から制約をうけた不規則な形のものが多いとともに,晩期縄文土器の手法を模した瘤状突起を付加したものもある。
これらの不規則な形のものを含めて,〈石器時代勾玉〉と総称することによって,弥生時代以降の整美な形の勾玉と区別する用語法もある。しかし,形の関連のほかに,硬玉(ヒスイ)を材料とすることを好む点でも,石器時代勾玉が弥生時代以降の勾玉の母胎になったことはたしかである。
弥生時代には古墳時代と同じC 字形の湾曲を示す勾玉が成立し,丁字頭もはじまっている。また体の腹側に突出部があって,山字形を呈する〈侯形(くしがた)勾玉〉も出現している。材料はほとんど硬玉を用いたが,福岡県須玖(すく)遺跡出土のガラス勾玉のように,鉛ガラスで作ったものもまれにある
古墳時代の勾玉は,弥生時代につづく C 字形の硬玉製品で,両面から穿孔したものが4世紀にまず普及し,ついで硬玉,碧玉,水晶,琥珀,滑石などを用いて,片面から穿孔した勾玉が4世紀末から出現した。なかでも入手の容易な碧玉の採用は勾玉の大型化に役だち,滑石のような卑質の石材の使用は勾玉の量産を助けた。
さらに6世紀後半には,瑪瑙(めのう)で作って片面から穿孔したコの字形勾玉が流行した。なお5世紀前半のガラス勾玉には尾部の細長くなった変形品があるが,4世紀後葉の硬玉製品にも,尾端が頭部に密着して環状を呈するものや,2個の勾玉形を背合せに組み合わせたものなどの異形勾玉があり,小型である点で共通する。さらに体の全面に線状の彫刻を加えたものが,前期の硬玉製品にも,中期の滑石製品にもある。
勾玉は日本以外でも,三国時代新羅の墳墓の副葬品として,豊富に出土している。たとえば慶州金冠塚出土の金冠には,57個の硬玉勾玉が装飾として綴じつけてある。腰佩にも硬玉勾玉に金帽をかぶせたものや,金帽をかぶせた勾玉の形を中空に作った金製勾玉を垂下したものがある。
ただし新羅の勾玉には,硬玉,瑪瑙のほかに,碧玉,水晶,ガラスなどを材料とするものがあり,形態や大小の統一を欠くうえに,穿孔法も両面,片面の両種を含んでいて,既存の勾玉を収集して利用した可能性が強い。
したがって,そのすべてを日本製ということはできないにしても,かなりの比率で日本製品を含むことは否定できない。時代は下るが,日本においても仏像の宝冠や金銅幡(ばん)の装飾に古墳時代の勾玉などを転用することは,奈良時代に実例のあることである。あるいは,沖縄の巫女の持物のなかにも,碧玉製の大型勾玉を見いだすことができる。
古墳時代には,大型の勾玉形を母体として,その腹背および両側面に,小型の勾玉形がいくつも付着した形に作ったものがあって,子持勾玉と総称している。勾玉と同じ位置に孔があるが,はたして頸飾などとして着装したものか否かはわからない。
(以下引用省略)
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小学館スーパーニッポニカ百科事典、「勾玉」の項
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(前半引用省略)
勾玉の発生は獣類の歯牙(しが)に穿孔(せんこう)したものが祖形で、のちにその形を模して玉石でつくられたとする獣牙起源説が一般的であるが、縄文時代前期に盛行した飾玉類より発展したとする説が近時有力となってきている。
『古事記』には勾玉、『日本書紀』には曲玉が用いられているが、一般には勾玉の字を使用している。勾玉は日本独自の形の玉で、朝鮮半島南部の古墳出土のものはわが国よりの伝来品とされている。
貴方のおっしゃる通り、勾玉は日本→朝鮮半島ですネ。
他の方のご参考にもなるかと思うので、コピペします。
平凡社版、小学館版共に1980年頃に書かれた百科事典です。
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平凡社 世界大百科事典、「勾玉」の項
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湾曲した体の一端に近く緒をとおす孔をうがった玉。湾曲した形を〈まがたま〉と名づけたのであろう。《日本書紀》は勾玉と記し,《古事記》は曲玉の字を用いる。はじめ曲玉の字をあてたが,曲には曲直などの熟語にみるように悪い意味もあるので,勾玉に改めたという説が有力である。
(途中引用省略)
勾玉は日本で独自に発達した玉の形である。縄文時代から使用しているので,動物の歯牙の基部に孔をあけて用いたのが原形であろうという説がある。ただし縄文時代の石製勾玉には,材料の形から制約をうけた不規則な形のものが多いとともに,晩期縄文土器の手法を模した瘤状突起を付加したものもある。
これらの不規則な形のものを含めて,〈石器時代勾玉〉と総称することによって,弥生時代以降の整美な形の勾玉と区別する用語法もある。しかし,形の関連のほかに,硬玉(ヒスイ)を材料とすることを好む点でも,石器時代勾玉が弥生時代以降の勾玉の母胎になったことはたしかである。
弥生時代には古墳時代と同じC 字形の湾曲を示す勾玉が成立し,丁字頭もはじまっている。また体の腹側に突出部があって,山字形を呈する〈侯形(くしがた)勾玉〉も出現している。材料はほとんど硬玉を用いたが,福岡県須玖(すく)遺跡出土のガラス勾玉のように,鉛ガラスで作ったものもまれにある
古墳時代の勾玉は,弥生時代につづく C 字形の硬玉製品で,両面から穿孔したものが4世紀にまず普及し,ついで硬玉,碧玉,水晶,琥珀,滑石などを用いて,片面から穿孔した勾玉が4世紀末から出現した。なかでも入手の容易な碧玉の採用は勾玉の大型化に役だち,滑石のような卑質の石材の使用は勾玉の量産を助けた。
さらに6世紀後半には,瑪瑙(めのう)で作って片面から穿孔したコの字形勾玉が流行した。なお5世紀前半のガラス勾玉には尾部の細長くなった変形品があるが,4世紀後葉の硬玉製品にも,尾端が頭部に密着して環状を呈するものや,2個の勾玉形を背合せに組み合わせたものなどの異形勾玉があり,小型である点で共通する。さらに体の全面に線状の彫刻を加えたものが,前期の硬玉製品にも,中期の滑石製品にもある。
勾玉は日本以外でも,三国時代新羅の墳墓の副葬品として,豊富に出土している。たとえば慶州金冠塚出土の金冠には,57個の硬玉勾玉が装飾として綴じつけてある。腰佩にも硬玉勾玉に金帽をかぶせたものや,金帽をかぶせた勾玉の形を中空に作った金製勾玉を垂下したものがある。
ただし新羅の勾玉には,硬玉,瑪瑙のほかに,碧玉,水晶,ガラスなどを材料とするものがあり,形態や大小の統一を欠くうえに,穿孔法も両面,片面の両種を含んでいて,既存の勾玉を収集して利用した可能性が強い。
したがって,そのすべてを日本製ということはできないにしても,かなりの比率で日本製品を含むことは否定できない。時代は下るが,日本においても仏像の宝冠や金銅幡(ばん)の装飾に古墳時代の勾玉などを転用することは,奈良時代に実例のあることである。あるいは,沖縄の巫女の持物のなかにも,碧玉製の大型勾玉を見いだすことができる。
古墳時代には,大型の勾玉形を母体として,その腹背および両側面に,小型の勾玉形がいくつも付着した形に作ったものがあって,子持勾玉と総称している。勾玉と同じ位置に孔があるが,はたして頸飾などとして着装したものか否かはわからない。
(以下引用省略)
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小学館スーパーニッポニカ百科事典、「勾玉」の項
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(前半引用省略)
勾玉の発生は獣類の歯牙(しが)に穿孔(せんこう)したものが祖形で、のちにその形を模して玉石でつくられたとする獣牙起源説が一般的であるが、縄文時代前期に盛行した飾玉類より発展したとする説が近時有力となってきている。
『古事記』には勾玉、『日本書紀』には曲玉が用いられているが、一般には勾玉の字を使用している。勾玉は日本独自の形の玉で、朝鮮半島南部の古墳出土のものはわが国よりの伝来品とされている。
これは メッセージ 57755 (pokosi2000 さん)への返信です.