ソウル8
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/11/02 22:35 投稿番号: [5761 / 73791]
キムは、私の意図を北村を通じて察していたようだ。親族支配の、それも韓国の古いしきたりが染みついておる、出目のやかましい会社にあって、部外者の、それもお抱え運転手上がりの田舎若者が、生半可な知識で経営管理、品質管理うんぬん言っても、袋だたきに合うのは目に見えておる。キムもそれは肌身に感じておったのであろう、私に側面から支援してもらえんか直訴しにきたのである。
しかし、我が社がK社にこれを強固に要求すれば、反日教育にそまっておる従業員は、ストで対抗するであろう。結果、K社は我が社から切られ、窮地に陥ることは想像できた。私は、この男、キムをこのまま埋もれさせてしまうのはおしいと思ったから、彼を生かす方法を考えた。このためには、まだ一介の会長秘書にしか過ぎない男をK社になくてはならない男に仕立て上げなければならん。それもあまり時間がない。だが現実は、キムにはK社の従業員が一目置くような実績がない。いや、むしろ会長の腰巾着ぐらいにしか見られておらんであろう、嫌われておるかも知れん。
唯一明るい状況は、あのキムの土下座事件以来、当の会長がキムに絶対的な信頼を置いているであろうこと、K社の将来には我が社の多少の無理強いも聞かねばならぬと覚悟しているであろうことが推測できた。だが聞くところによると、キムはあくまでも会長秘書、事業という実績はゼロに等しい。頭は斬新であるようだが、その資質と人の使いこなしは未知数である。だから北村をキムの、いわば相談役、目付役、後見人に仕立て上げた。K社の会長も、この私の提案を秘密裏に了承した。なんとしても、K社の古い体質を打開せねば、我が社としても困ることであった。
私の友人、ドイツの実業家は見事にキムをしごいたようである。キムもよく耐え、先進国との取り引きとは何かを骨身にしみて実感し、心新たにしたようである。そこがキムのキムらしいところであった。北村にとってもこのドイツ企業との取り引きが援護射撃となって、K社の改革に拍車をかけることができたと言う。反日に凝り固まっているK社の従業員は、日本企業の我が社からの要求だけでは感情が先にたって反発したであろうからな。
ドイツの友人は、キムの誠実で物覚えがよい能力に好感を抱いたらしく、まもなく他のヨーロッパ諸国と米国の取り引き先を紹介した。これによりK社の業績は、いやキムの実績であるが、着実に伸び、K社の役員も従業員もキムの実績に一目置かざるを得ない雰囲気になったという。それでもキムは、経営者一族の白い目に忍耐をもって対応し、黒子役に徹して北村と一緒にK社の経営の合理化、生産体制の近代化を徐々に進めて行った。
私は、まもなくM社を退いたが、それなりの布石は打って退いた。私は、M社に天下りのような身分で入ったから、社長も専務も私に気兼ねしておった。ま、在任中は報酬分のことはしたつもりであるが、民間企業はどうも私の性に合わん。だから私は、北村の上司であった男を後任の役員に推薦し、M社を去った。顧問でもよいから残ってくれと懇願されたが、それも断った。
キムと北村は、私がM社を退いたことに悲観し、飲み明かしたそうである。しかし、それは杞憂である。私の後釜の役員、北村の上司のこの男はまことに切れる男であったし、北村とキムの境遇もよく理解しておったから役員に推薦した。その後、この男は、M社の社長になり、会長になって、現在は名誉会長になっておる。
そんなことを振り返りながら、見えてきた高層ビルを車の窓から眺めておると、
「韓国で一番高いビルなんです。あの最上階から見るソウルの夜景は、とってもきれいなんですよ、ハラボジ」
隣に座っている娘のヒョギョンが英語でそう説明した。思わず娘を見ると、初対面の私にくったくのない笑顔を浮かべておる。
「そうか?」
「ええ、ハラボジと夜景を見にいきたいです」
母親がそんな娘にハングルで何か言ったが、娘もハングルでしきりに言い返しておる。姉が話すのに気が変わったのか、それまで黙りこくっていた息子もハングルで母親に話しはじめた。「また、モメておるのか?」と思っておると、
「先生、すみません。子供の教育は家内にまかせているものですから..」
そう言いながら、キムはミラーの中で苦笑している。
韓国では、目上の意見は絶対と聞いておったが、どうやらキムの家族は違うらしい。
爺
しかし、我が社がK社にこれを強固に要求すれば、反日教育にそまっておる従業員は、ストで対抗するであろう。結果、K社は我が社から切られ、窮地に陥ることは想像できた。私は、この男、キムをこのまま埋もれさせてしまうのはおしいと思ったから、彼を生かす方法を考えた。このためには、まだ一介の会長秘書にしか過ぎない男をK社になくてはならない男に仕立て上げなければならん。それもあまり時間がない。だが現実は、キムにはK社の従業員が一目置くような実績がない。いや、むしろ会長の腰巾着ぐらいにしか見られておらんであろう、嫌われておるかも知れん。
唯一明るい状況は、あのキムの土下座事件以来、当の会長がキムに絶対的な信頼を置いているであろうこと、K社の将来には我が社の多少の無理強いも聞かねばならぬと覚悟しているであろうことが推測できた。だが聞くところによると、キムはあくまでも会長秘書、事業という実績はゼロに等しい。頭は斬新であるようだが、その資質と人の使いこなしは未知数である。だから北村をキムの、いわば相談役、目付役、後見人に仕立て上げた。K社の会長も、この私の提案を秘密裏に了承した。なんとしても、K社の古い体質を打開せねば、我が社としても困ることであった。
私の友人、ドイツの実業家は見事にキムをしごいたようである。キムもよく耐え、先進国との取り引きとは何かを骨身にしみて実感し、心新たにしたようである。そこがキムのキムらしいところであった。北村にとってもこのドイツ企業との取り引きが援護射撃となって、K社の改革に拍車をかけることができたと言う。反日に凝り固まっているK社の従業員は、日本企業の我が社からの要求だけでは感情が先にたって反発したであろうからな。
ドイツの友人は、キムの誠実で物覚えがよい能力に好感を抱いたらしく、まもなく他のヨーロッパ諸国と米国の取り引き先を紹介した。これによりK社の業績は、いやキムの実績であるが、着実に伸び、K社の役員も従業員もキムの実績に一目置かざるを得ない雰囲気になったという。それでもキムは、経営者一族の白い目に忍耐をもって対応し、黒子役に徹して北村と一緒にK社の経営の合理化、生産体制の近代化を徐々に進めて行った。
私は、まもなくM社を退いたが、それなりの布石は打って退いた。私は、M社に天下りのような身分で入ったから、社長も専務も私に気兼ねしておった。ま、在任中は報酬分のことはしたつもりであるが、民間企業はどうも私の性に合わん。だから私は、北村の上司であった男を後任の役員に推薦し、M社を去った。顧問でもよいから残ってくれと懇願されたが、それも断った。
キムと北村は、私がM社を退いたことに悲観し、飲み明かしたそうである。しかし、それは杞憂である。私の後釜の役員、北村の上司のこの男はまことに切れる男であったし、北村とキムの境遇もよく理解しておったから役員に推薦した。その後、この男は、M社の社長になり、会長になって、現在は名誉会長になっておる。
そんなことを振り返りながら、見えてきた高層ビルを車の窓から眺めておると、
「韓国で一番高いビルなんです。あの最上階から見るソウルの夜景は、とってもきれいなんですよ、ハラボジ」
隣に座っている娘のヒョギョンが英語でそう説明した。思わず娘を見ると、初対面の私にくったくのない笑顔を浮かべておる。
「そうか?」
「ええ、ハラボジと夜景を見にいきたいです」
母親がそんな娘にハングルで何か言ったが、娘もハングルでしきりに言い返しておる。姉が話すのに気が変わったのか、それまで黙りこくっていた息子もハングルで母親に話しはじめた。「また、モメておるのか?」と思っておると、
「先生、すみません。子供の教育は家内にまかせているものですから..」
そう言いながら、キムはミラーの中で苦笑している。
韓国では、目上の意見は絶対と聞いておったが、どうやらキムの家族は違うらしい。
爺
これは メッセージ 5753 (k_g_y_7_234 さん)への返信です.