Re: チョウセンってのは…
投稿者: goodjapan48 投稿日時: 2009/05/17 08:13 投稿番号: [55839 / 73791]
>昔も今も将来も、チョウセンはかわらんでしょうなあ
朝鮮人の定義を考えて見ましょう。朝鮮半島にいたから朝鮮人ではありません。古代朝鮮半島はなぜか半島の中心部より半島南部下部が栄えていた、その辺に住む者を倭人(軽蔑語)と読んでいた。シナの資料でも解ります。なぜ南部下部が発展していたか、当時任那日本府があったように日本が進出していたから栄えていた。日本発の遺物の発見からでも解る。だから倭人と呼ばれていたのです。百済にしていても相当日本人が入っていたはずです。
しかし、日本は朝鮮の白村江で唐・新羅軍に破れ日本軍は朝鮮半島から撤退しました。相当の日本人が日本に帰ったでしょう。日本人がいなくなったあと唐・新羅人が変わりに占領住み着いた。そこから朝鮮半島に住み着いた物が朝鮮人の起源と思われます。新羅人も朝鮮人です。
ここで問題なのは、朝鮮人が仏教を伝えてのは完全な嘘です。当時百済にしても当時の状況からして日本人であり、だから任那日本府と同盟していた。倭人と言われることでも解るでしょう。唐・新羅軍の占領が朝鮮人であって。朝鮮人が日本へ教えてやったとは言いがたいです。それは歴史的証拠からでもわかります。
韓国の教科書では、その辺を誤魔化して任那日本府を歴史から消して別の名をつけてます。朝鮮半島での日本統治を消したいみたいですね。韓国歴史学者やNHKでも朝鮮南部にいた日本人を単純労働者と決め付けるありさま。外敵ががいる朝鮮半島に単純労働者のみいるはずはない、必ず指導者がいる、日本書紀にも載るぐらいだから大和朝廷からの任命者のはずです。白村江の戦闘に参加したのは任那日本府を守るためだった。当時領有権があったから戦った、それ以外に考えられないです。単純労働者なら大和朝廷が認知し得ないなら日本書紀にはのらない、それだけで単純労働者のみの渡航ではないことがわかる。
以上の点から朝鮮人が発生した。そこから日本とかけ離れていた。その後朝鮮半島で高度な日本刀なみの刀ができたか?、他の文物も日本をなみになったか?日本人と朝鮮人とは比べようがない。
朝鮮人とはそのようなものです。パクリや捏造、詐欺何でもあれです。それが朝鮮人です。
これは メッセージ 55838 (nihonkai_2010 さん)への返信です.
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