Re: 古代日本には百済・新羅から渡来した人
投稿者: goodjapan48 投稿日時: 2009/05/14 03:02 投稿番号: [55726 / 73791]
>百済・新羅との交流も盛んであり、古代日本はこの影響も強く受けているのは事実でしょう。
以下の事実からして交流も盛んなことはない。朝鮮半島から日本を攻撃された事柄です。私から言わせればその他多くの国の朝鮮半島はほんの一部の拠点しかありません。その逆に日本の影響が相当入ってます。日本の統治時代など考えれば文物は全部といってもいい。朝鮮は日本が作ったとのと同じです。
【第一次侵略=356年】
ワイ人=朝鮮人の金奈勿(キン・ナブツ)が、稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪、
志良岐を乗っ取る。稲飯命王朝が滅亡。
【第二次侵略=562年】 朝鮮人国家=新羅が、日本領=任那を武力攻撃。任那は滅亡した。
【第三次侵略=660年】 新羅が、唐軍と共に日本領=百済を侵略。百済は滅亡した。
【第四次侵略=811年・12月】 新羅の賊船が対馬近海に出没するので、警備させる。
【第五次侵略=813年(弘仁4年)・2月】新羅人百人余、肥前小近島に来て島民を殺傷する。
【第六次侵略=869年(貞観11年)・5月】新羅の海賊、博多で掠奪する。
【第七次侵略=893年(寛平5年)・5月】 新羅の賊、肥前・肥後を襲う。
【第八次侵略=894年(寛平6年)・4月】 新羅の賊来る。大宰府に討たせる。
【第九次侵略=997年(長徳3年)】 高麗の賊が大挙して侵寇。多数の日本人を虐殺。
【第十次侵略=1014年(長和三年)】 高麗の賊が攻め寄せ、大宰府が討伐する。
【第十一次侵略=1019年(寛仁三年)】
50余隻の船団が来襲し、壱岐、対馬、筑前糸島、志摩・早良諸郡を荒らして物資を奪い、
家屋を焼き払い、老人子供は殺して丈夫な者だけを拉致。ついに博多に迫る。
日本側は、大宰権使=藤原隆家・大蔵種材や在地の豪族らが応戦撃退。
逃げる敵を追って船三十艘で追撃。ついに追い払った。
十数日間に渡る戦闘だった。刀伊の侵略。
【第十二次侵略=1097年(承徳元年)】
異賊船100隻が松浦・筑前に攻め寄せる。大宰府官兵・九州軍士大いに守り、賊船
を撃破し賊徒数万を海没させた。元寇に至る外国からの侵略事件の中でも最大規模のもの。
【第十三次侵略=1274年10月(文永11年)】
忻都、金方慶らに率いられた、高麗人・モンゴル人数万人が朝鮮の月浦(現在の馬山)
を出発。10月5日に対馬を、10月14日には壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の
本拠を全滅させた。
【第十四次侵略=1281年(弘安4年)】
高麗軍を主力とした東路軍四万と、旧南宋軍を主力とした江南軍十万、計14万の軍
が日本を侵略。
【第十五次侵略=1419年(応永26年】
朝鮮が、日本領=対馬を、倭寇征伐の名目で侵略する。朝鮮では己亥東征という。
太宗は「倭寇の根拠地は対馬だ」と言いがかりをつけ、対馬を侵略した。
>中国です。経典や仏像も中国からです。
日本漢語がなければ今の中国語は成立しない。漢方薬でもに、原始的な漢方は日本に入ってまとめ上げられその本が中国に渡った、中国にある希少な本は日本から入ったものです。つまりその逆の方が遥かに多い。経典でも日本宗教の特筆すべき特徴の一つに本地垂迹説がある。他国から経典が入ったからとしてそれが何かあるんですか?。
中東において鉄の製造方法にしても教えてやったと言うか?、仏教にしてもインドが伝えてやったというか?。ほんの一部の中間地点しかないのに中国朝鮮半島から入ったからどうだこうだ言うのは朝鮮半島人とシナ人だけでしょう。アメリカなどでも他の国が入っても、アメリカの中にあるものはアメリカの文化といいます。それはそうでしょうアメリカの中にあるのはアメリカの文化だから。
そして。朝鮮人が過去を求めて、朝鮮国内にないからといって日本にある文物を求めること時代ナンセンスである。過去を求めたいなら朝鮮国内で求めなさい。日本に居座るのもやめてもらいたい。日本国内にあるのは日本の文化。なにか文句でもありますかな。
以下の事実からして交流も盛んなことはない。朝鮮半島から日本を攻撃された事柄です。私から言わせればその他多くの国の朝鮮半島はほんの一部の拠点しかありません。その逆に日本の影響が相当入ってます。日本の統治時代など考えれば文物は全部といってもいい。朝鮮は日本が作ったとのと同じです。
【第一次侵略=356年】
ワイ人=朝鮮人の金奈勿(キン・ナブツ)が、稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪、
志良岐を乗っ取る。稲飯命王朝が滅亡。
【第二次侵略=562年】 朝鮮人国家=新羅が、日本領=任那を武力攻撃。任那は滅亡した。
【第三次侵略=660年】 新羅が、唐軍と共に日本領=百済を侵略。百済は滅亡した。
【第四次侵略=811年・12月】 新羅の賊船が対馬近海に出没するので、警備させる。
【第五次侵略=813年(弘仁4年)・2月】新羅人百人余、肥前小近島に来て島民を殺傷する。
【第六次侵略=869年(貞観11年)・5月】新羅の海賊、博多で掠奪する。
【第七次侵略=893年(寛平5年)・5月】 新羅の賊、肥前・肥後を襲う。
【第八次侵略=894年(寛平6年)・4月】 新羅の賊来る。大宰府に討たせる。
【第九次侵略=997年(長徳3年)】 高麗の賊が大挙して侵寇。多数の日本人を虐殺。
【第十次侵略=1014年(長和三年)】 高麗の賊が攻め寄せ、大宰府が討伐する。
【第十一次侵略=1019年(寛仁三年)】
50余隻の船団が来襲し、壱岐、対馬、筑前糸島、志摩・早良諸郡を荒らして物資を奪い、
家屋を焼き払い、老人子供は殺して丈夫な者だけを拉致。ついに博多に迫る。
日本側は、大宰権使=藤原隆家・大蔵種材や在地の豪族らが応戦撃退。
逃げる敵を追って船三十艘で追撃。ついに追い払った。
十数日間に渡る戦闘だった。刀伊の侵略。
【第十二次侵略=1097年(承徳元年)】
異賊船100隻が松浦・筑前に攻め寄せる。大宰府官兵・九州軍士大いに守り、賊船
を撃破し賊徒数万を海没させた。元寇に至る外国からの侵略事件の中でも最大規模のもの。
【第十三次侵略=1274年10月(文永11年)】
忻都、金方慶らに率いられた、高麗人・モンゴル人数万人が朝鮮の月浦(現在の馬山)
を出発。10月5日に対馬を、10月14日には壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の
本拠を全滅させた。
【第十四次侵略=1281年(弘安4年)】
高麗軍を主力とした東路軍四万と、旧南宋軍を主力とした江南軍十万、計14万の軍
が日本を侵略。
【第十五次侵略=1419年(応永26年】
朝鮮が、日本領=対馬を、倭寇征伐の名目で侵略する。朝鮮では己亥東征という。
太宗は「倭寇の根拠地は対馬だ」と言いがかりをつけ、対馬を侵略した。
>中国です。経典や仏像も中国からです。
日本漢語がなければ今の中国語は成立しない。漢方薬でもに、原始的な漢方は日本に入ってまとめ上げられその本が中国に渡った、中国にある希少な本は日本から入ったものです。つまりその逆の方が遥かに多い。経典でも日本宗教の特筆すべき特徴の一つに本地垂迹説がある。他国から経典が入ったからとしてそれが何かあるんですか?。
中東において鉄の製造方法にしても教えてやったと言うか?、仏教にしてもインドが伝えてやったというか?。ほんの一部の中間地点しかないのに中国朝鮮半島から入ったからどうだこうだ言うのは朝鮮半島人とシナ人だけでしょう。アメリカなどでも他の国が入っても、アメリカの中にあるものはアメリカの文化といいます。それはそうでしょうアメリカの中にあるのはアメリカの文化だから。
そして。朝鮮人が過去を求めて、朝鮮国内にないからといって日本にある文物を求めること時代ナンセンスである。過去を求めたいなら朝鮮国内で求めなさい。日本に居座るのもやめてもらいたい。日本国内にあるのは日本の文化。なにか文句でもありますかな。
これは メッセージ 55724 (niko_niko_yamato さん)への返信です.