Re: ウリナラは海洋民族だニダ!
投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/05/09 09:34 投稿番号: [55326 / 73791]
面白いですね、海軍といえばモンゴルと
高麗の連合軍が、大挙して日本を襲った
蒙古襲来
休日の時間潰しに
蒙古襲来
八代執権、北条時宗は決断を迫まられていた
圧倒的な軍事力を見せ付けられた文永の
役から数ヵ月後、フビライ、ハンからの
国書を携え、使者が到着したのである
使者が口上を述べる
皇帝フビライ、ハンよりの国書である
謹んで拝聴されよ
我が帝国に、叛意無き事示すべし
されば帝国と共に栄えん
時宗は思い悩む
彼の国の強大さは、先の文永の役にて
思い知った、このまま軍門に下るか
それとも徹底抗戦か
そして苦渋の決断を下す
使者の首を刎ねよ!
強大なモンゴル帝国との対決を、決意した
のである
それは日本存亡を賭けての決断であった
大軍で押し寄せるモンゴル軍相手に
勝算はあるのか
先の文永の役では、惨めな大敗を喫した
モンゴル兵は、連射可能な弓や鉄砲と
呼ばれる爆弾を駆使して、日本兵を
蹂躙したのである
博多の街には火がかけられ、女達は多くが
連れ去られていった
これ以上戦えば生き残る者なし 兵士の一人は
そう書き残している
ところが意外な事に、モンゴル軍は
あっさり引き上げていった
最近の説によれば、最初から威嚇の
積りであったと言う
皇帝フビライの狙いは、日本に産するという
莫大な金銀であった、フビライは
モンゴル帝国を支える為、大量の紙幣を
発行していた
紙幣の価値を裏付ける為、交換に応じられる
だけの金や銀が必要であり、日本に目を
付けたのである
今一度使者を送るがよい、よもや逆らう事は
あるまい
その使者は、首を落とされた
時宗も考えられだけの手を打った、モンゴルの
僧を捕らえ、来襲の月日をほぼ予測し
身分に関係なく恩賞を与える事を約し
これに応じて、多くの兵が博多に集結した
その博多の海岸線には、防塁が築かれ
文永の役とは比較にならぬ、防御体制が
敷かれたのである
弘安四年五月、朝鮮半島を出発した
東路軍四万は博多に上陸を試みる
しかし防塁に阻まれ上陸は叶わなかった
沖合いに退却するモンゴル軍に、日本兵は
小船で近づき執拗に攻撃を繰り返す
モンゴル軍は大損害を受け、博多を撤退
主力の江南軍十万を待つ為、平戸に
引き上げる
やがて江南軍と合流した総勢十四万は
博多に向けて進撃を開始する
日本危うし、有史以来最大の危機が迫っていた
その時神風が吹く、弘安四年七月三十日
凄まじい暴風雨が吹き荒れ、海上は
大揺れとなった
俄か作りのモンゴルの軍船は、木っ端微塵に
砕け散り多くの兵が、海の藻屑と消えていった
残されたモンゴル側の資料によると
十四万の兵の内 帰り着いた者僅か三名
と云われるほどの凄まじさである
この戦いから三年後、時宗は病に倒れ生涯を
閉じる、蒙古襲来に全精力を使い果たし
疲れ切ったのかも知れない
享年三十四歳であった
二度に渡る蒙古襲来を見ていた、ヨー
ロッパ人がいた、フビライに仕える
イタリアの商人、マルコポーロである
イタリアに帰ったマルコポーロは
東方見聞録を記し日本を、黄金の国
ジパングと紹介した
これは多くの冒険家を刺激し、ジパングを
求めて続々大海に乗り出していった
1492年、コロンブスは偶然アメリカ大陸を
発見しバスコダガマは、インド航路を
発見する
蒙古襲来は、思わぬ所に飛び火しヨーロッパ
大航海時代の口火となったのである
高麗の連合軍が、大挙して日本を襲った
蒙古襲来
休日の時間潰しに
蒙古襲来
八代執権、北条時宗は決断を迫まられていた
圧倒的な軍事力を見せ付けられた文永の
役から数ヵ月後、フビライ、ハンからの
国書を携え、使者が到着したのである
使者が口上を述べる
皇帝フビライ、ハンよりの国書である
謹んで拝聴されよ
我が帝国に、叛意無き事示すべし
されば帝国と共に栄えん
時宗は思い悩む
彼の国の強大さは、先の文永の役にて
思い知った、このまま軍門に下るか
それとも徹底抗戦か
そして苦渋の決断を下す
使者の首を刎ねよ!
強大なモンゴル帝国との対決を、決意した
のである
それは日本存亡を賭けての決断であった
大軍で押し寄せるモンゴル軍相手に
勝算はあるのか
先の文永の役では、惨めな大敗を喫した
モンゴル兵は、連射可能な弓や鉄砲と
呼ばれる爆弾を駆使して、日本兵を
蹂躙したのである
博多の街には火がかけられ、女達は多くが
連れ去られていった
これ以上戦えば生き残る者なし 兵士の一人は
そう書き残している
ところが意外な事に、モンゴル軍は
あっさり引き上げていった
最近の説によれば、最初から威嚇の
積りであったと言う
皇帝フビライの狙いは、日本に産するという
莫大な金銀であった、フビライは
モンゴル帝国を支える為、大量の紙幣を
発行していた
紙幣の価値を裏付ける為、交換に応じられる
だけの金や銀が必要であり、日本に目を
付けたのである
今一度使者を送るがよい、よもや逆らう事は
あるまい
その使者は、首を落とされた
時宗も考えられだけの手を打った、モンゴルの
僧を捕らえ、来襲の月日をほぼ予測し
身分に関係なく恩賞を与える事を約し
これに応じて、多くの兵が博多に集結した
その博多の海岸線には、防塁が築かれ
文永の役とは比較にならぬ、防御体制が
敷かれたのである
弘安四年五月、朝鮮半島を出発した
東路軍四万は博多に上陸を試みる
しかし防塁に阻まれ上陸は叶わなかった
沖合いに退却するモンゴル軍に、日本兵は
小船で近づき執拗に攻撃を繰り返す
モンゴル軍は大損害を受け、博多を撤退
主力の江南軍十万を待つ為、平戸に
引き上げる
やがて江南軍と合流した総勢十四万は
博多に向けて進撃を開始する
日本危うし、有史以来最大の危機が迫っていた
その時神風が吹く、弘安四年七月三十日
凄まじい暴風雨が吹き荒れ、海上は
大揺れとなった
俄か作りのモンゴルの軍船は、木っ端微塵に
砕け散り多くの兵が、海の藻屑と消えていった
残されたモンゴル側の資料によると
十四万の兵の内 帰り着いた者僅か三名
と云われるほどの凄まじさである
この戦いから三年後、時宗は病に倒れ生涯を
閉じる、蒙古襲来に全精力を使い果たし
疲れ切ったのかも知れない
享年三十四歳であった
二度に渡る蒙古襲来を見ていた、ヨー
ロッパ人がいた、フビライに仕える
イタリアの商人、マルコポーロである
イタリアに帰ったマルコポーロは
東方見聞録を記し日本を、黄金の国
ジパングと紹介した
これは多くの冒険家を刺激し、ジパングを
求めて続々大海に乗り出していった
1492年、コロンブスは偶然アメリカ大陸を
発見しバスコダガマは、インド航路を
発見する
蒙古襲来は、思わぬ所に飛び火しヨーロッパ
大航海時代の口火となったのである
これは メッセージ 55304 (dragonfly_in_hell さん)への返信です.