日本統治時代2/2
投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2009/05/02 22:29 投稿番号: [54963 / 73791]
投稿者:直子
大韓民国における日本統治時代の評価 [編集]
独立後の韓国の歴史学者・学会は、日本による統治を正当化する日本側の歴史研究を「植民地史観」と呼び、これを強く批判することから出発した。彼らの言うところの「植民地史観」に対抗して登場したのは民族史観であり、その後の歴史研究の柱となった。そうした雰囲気もあって、日本統治時代に様々な近代化が行われたことを認めつつも、近代化の萌芽は朝鮮朝の時代に既に存在しており、日本による統治はそれらの萌芽を破壊することで、結果的には近代化を阻害したとする近代化萌芽論が独立後に現れた。一方、評論家・作家の金完燮や日本の保守層を代弁する人物として、拓殖大学の教授で済州島出身呉善花などは日本による統治を肯定的に評価する本を執筆しており、またソウル大学教授の李栄薫などによる、日本の統治が近代化を促進したと主張する植民地近代化論も存在するが韓国人としては少数派である[1]。近年、李栄薫らは李氏朝鮮時代の資料を調査し李氏朝鮮時代の末期に朝鮮経済が急速に崩壊したことを主張し、近代化萌芽論を強く否定している。また国外的には、ハーバード大学の朝鮮史教授カーター・J・エッカートも韓国での萌芽論は「論理ではなく日本を弾劾することが目的のもの」としており、近代化萌芽論を強く否定し、韓国の資本主義は日本の植民地化の中で生まれ、特に戦後の韓国の資本主義や工業化は日本の近代化政策を模したものという研究結果を出している。同時に彼は日本統治そのものについては朴正煕政権との類似性などをあげ、軍事独裁の一形態であり、韓国の資本家に独裁政権への依存体質をもたらす原因になったとも述べている。
日本統治下の朝鮮を植民地と呼ぶかどうかについての論争 [編集]
植民地という呼称は、新規の領土を旧来の領土に比して特殊な政治制度の下におき政治的従属状態においているものを呼ぶことが多い。現実例から抽出されたモデルに現実に用いられた呼称を適用することからはじまったが、先行モデルを中心に価値判断を排除すべく概念規定されつつある。これは先行する事実をモデルにしないかぎり、名称をつけられず、議論も不可能であるためである。
ただし、欧米による先行のモデルとの差異を論じるべく日本型植民地支配がどのようなものであったかについては継続して議論が戦わされている。のみならず「日本の統治政策は同時代に欧米諸国の行った異民族統治とは異質で、善政である」「植民地という言葉は諸外国が異民族統治に対して行った悪政に使われる言葉である」という認識から、双方を一緒に植民地という言葉で形容することへの批判がある。この立場からは日本の朝鮮支配について「植民地」という呼称を用いるべきではないと主張されている。
朝鮮を支配していた当時の日本政府は、法的には朝鮮に対して特別の呼称(植民地、外地など)を付さなかった。ただし公文書では植民地、外地とも使用例が見られる([1]、[2]を参照)。在野の学者や思想家の間には朝鮮が植民地であるかどうかについて見解の相違があった。憲法学者の美濃部達吉、植民政策学者の新渡戸稲造、矢内原忠雄など社会科学者は概ね植民地であると見なしていたが、歴史学者の田保橋潔や思想家の北一輝などは植民地ではないとした。戦後の日本の政治家の発言や日朝平壌宣言のような外交文書でも朝鮮が植民地であったとする表現があるが、これを日本政府の公式見解とするかどうかには議論がある(日本の戦争謝罪発言一覧も参照)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88
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大韓民国における日本統治時代の評価 [編集]
独立後の韓国の歴史学者・学会は、日本による統治を正当化する日本側の歴史研究を「植民地史観」と呼び、これを強く批判することから出発した。彼らの言うところの「植民地史観」に対抗して登場したのは民族史観であり、その後の歴史研究の柱となった。そうした雰囲気もあって、日本統治時代に様々な近代化が行われたことを認めつつも、近代化の萌芽は朝鮮朝の時代に既に存在しており、日本による統治はそれらの萌芽を破壊することで、結果的には近代化を阻害したとする近代化萌芽論が独立後に現れた。一方、評論家・作家の金完燮や日本の保守層を代弁する人物として、拓殖大学の教授で済州島出身呉善花などは日本による統治を肯定的に評価する本を執筆しており、またソウル大学教授の李栄薫などによる、日本の統治が近代化を促進したと主張する植民地近代化論も存在するが韓国人としては少数派である[1]。近年、李栄薫らは李氏朝鮮時代の資料を調査し李氏朝鮮時代の末期に朝鮮経済が急速に崩壊したことを主張し、近代化萌芽論を強く否定している。また国外的には、ハーバード大学の朝鮮史教授カーター・J・エッカートも韓国での萌芽論は「論理ではなく日本を弾劾することが目的のもの」としており、近代化萌芽論を強く否定し、韓国の資本主義は日本の植民地化の中で生まれ、特に戦後の韓国の資本主義や工業化は日本の近代化政策を模したものという研究結果を出している。同時に彼は日本統治そのものについては朴正煕政権との類似性などをあげ、軍事独裁の一形態であり、韓国の資本家に独裁政権への依存体質をもたらす原因になったとも述べている。
日本統治下の朝鮮を植民地と呼ぶかどうかについての論争 [編集]
植民地という呼称は、新規の領土を旧来の領土に比して特殊な政治制度の下におき政治的従属状態においているものを呼ぶことが多い。現実例から抽出されたモデルに現実に用いられた呼称を適用することからはじまったが、先行モデルを中心に価値判断を排除すべく概念規定されつつある。これは先行する事実をモデルにしないかぎり、名称をつけられず、議論も不可能であるためである。
ただし、欧米による先行のモデルとの差異を論じるべく日本型植民地支配がどのようなものであったかについては継続して議論が戦わされている。のみならず「日本の統治政策は同時代に欧米諸国の行った異民族統治とは異質で、善政である」「植民地という言葉は諸外国が異民族統治に対して行った悪政に使われる言葉である」という認識から、双方を一緒に植民地という言葉で形容することへの批判がある。この立場からは日本の朝鮮支配について「植民地」という呼称を用いるべきではないと主張されている。
朝鮮を支配していた当時の日本政府は、法的には朝鮮に対して特別の呼称(植民地、外地など)を付さなかった。ただし公文書では植民地、外地とも使用例が見られる([1]、[2]を参照)。在野の学者や思想家の間には朝鮮が植民地であるかどうかについて見解の相違があった。憲法学者の美濃部達吉、植民政策学者の新渡戸稲造、矢内原忠雄など社会科学者は概ね植民地であると見なしていたが、歴史学者の田保橋潔や思想家の北一輝などは植民地ではないとした。戦後の日本の政治家の発言や日朝平壌宣言のような外交文書でも朝鮮が植民地であったとする表現があるが、これを日本政府の公式見解とするかどうかには議論がある(日本の戦争謝罪発言一覧も参照)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9F%93%E4%BD%B5%E5%90%88
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これは メッセージ 54962 (k_g_y_007_naoko さん)への返信です.