日本語の語源は古代韓国?
投稿者: and_so_on1 投稿日時: 2009/05/02 16:44 投稿番号: [54942 / 73791]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1241243415/-100
と言う話がまた出てきました。
>著者が歴史を正そうとする努力は、「天皇中心に成り立った日本歴史の舞台に、韓半島・韓国人は少しも近接することができず、何らの影響も与えることができなかった」という歴史認識、即ち日本固有の皇国史観が根深く横たわっている日本の意識の目を覚まさせる点にもある。
>日本の学者の大部分が、いまだにヤマト政権が新羅を征伐して任那日本府を設置して韓半島を支配したと主張しており、その韓半島支配説が単なる歴史記録にとどまらず後に彼らが意図したとおりに日本の対韓半島宗主国史観にまで至り、日本の歴史の中心に位置づけられているというところに問題がある。
などなど色んなことを言ってますが。
私は日本の文化に朝鮮の影響が大きいという、自虐史観に導かれた幼いころ、「日本語は朝鮮語の方言なのではあるまいか」という考えを持っておりました。
今は逆転して、日本語の一方言がチョン語ではないかと考ております。
白村江(はくすきのえ)の戦いが何のためのものであったかと、考えるに、それは自国領域を死守するためではないのかと。
wiki
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>6世紀から7世紀の朝鮮半島では高句麗、百済、新羅の三国が鼎立していたが、新羅は二国に圧迫される存在であった。倭国は半島南部の任那を通じて影響力を持っていたと『日本書紀』は書いており、また、大陸側でも、広開土王碑400年条の「任那」が初出で、『宋書』では「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が見え、451年条に「任那、加羅」と2国が併記され、その後も踏襲され、『南斉書』も併記を踏襲していることから、倭国が任那、加羅と関係が深いことはほぼ明らかである。
>白村江の戦いで大敗北した倭国水軍は、各地で転戦中の倭国軍および亡命を望む百済遺民を救い出して船に乗せ、唐水軍に追われる中やっとのことで帰国した。
昔っから面倒みてやってたんだなあ、日本は。
恩を仇で返し、罵詈雑言の朝鮮人。
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