天皇家は朝鮮半島からきたのか?
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2009/04/15 19:56 投稿番号: [53738 / 73791]
新羅の脱解王は日本から渡来したと三国史記に記述されている。これを裏付ける記述が新撰姓氏録にある。
また物的証拠として新羅の金冠にぶら下がった、日本産の翡翠の勾玉だ。
勾玉は6000年前から存在する紛れもなく日本の縄文文化だ。
そして翡翠は低温・高圧の変成作用を受けてできる、これはプレートの沈み込みによるのものだ。
従ってプレートの沈み込みのない朝鮮半島で産出することはありえない。
古代新羅は日本人によって支配されていた。
朝鮮人が勾玉を朝鮮由来と捏造しようとしても無駄。
日本では6000年前から連綿と勾玉文化は続くが朝鮮では5世紀の頃だけ。
征服民族が被征服民族の文化を王権の象徴とすることがあり得るだろうか。
古代日本には銅剣・銅鉾文化圏と銅鐸文化圏があった。
しかし、銅鐸文化圏は滅びた、出土例も山の中で発掘されたり、破壊された常態で発掘されていたりする。
さて、天皇家の三種の神器とは鏡・剣・勾玉だ。
天皇家は明らかに銅剣・銅鉾文化圏の子孫であろう。
日本書紀に神武東遷の記述があるこれは事実を伝えていると思う。
日本書紀の記述の正確さが最近見直されている。
百済の武寧王は日本生まれのとっても親日派の王様だった。
彼の本名斯麻王は日本書紀のみ正確に記録していた。
羨道にあった誌石(墓碑)。墓地を神から買い取るための「買地券」として残っていた。(買地券は、同じものが太宰府など
でも発掘されている。)その誌石に、「斯麻王」(しまおう)と文字が刻まれていたため、この墓は百済第二十五代武寧王
(在位502〜523)の陵墓と確定した。
誌石からみて、武寧王は523年5月に死亡して525年8月に王陵に安置され、王妃は526年11月に死亡して529年2月に安置された。
そして閉塞用の磚のうち「士壬辰年作」の銘文磚は、王のなくなる11年前である512年に、既に築造準備がなされていたこと
を示している。
http://inoues.net/korea/buneiou.html賢明なるROM氏諸兄ならば俺の言いたいことは既に見透かされているだろう。
俺たち日本人は朝鮮人なんぞとは関係ねえ。
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