国際人の条件とは?
投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2009/03/04 22:22 投稿番号: [51439 / 73791]
投稿者:直子^^
国際人の条件とは
ここで「真の国際人とは何か」という本題に入りたいと思います。40年間外交に携わって、常に私の念頭にあったのは、理想的な国際人として行動しただろうかということです。
私の考える国際人の第一の条件は“To be international, be national”即ち、「国際人になるなら、先ず日本人たれ」ということです。世界に立ち向かう時、我々はその拠って立つ基盤、即ち「日本人とは何か、日本文明とは何か」を知ることが大切です。
ここで英国の歴史家、アーノルド・トインビー博士の業績に触れたいと思います。博士はオクスフォード大学を卒業後、ロンドン・タイムズの記者になりました。間もなく第一次大戦が勃発して、彼は従軍記者としてトルコとの前線に赴き、そこで運悪くトルコ軍の捕虜になりました。当時英国ではトルコ軍がいかに残忍か、捕虜になったら拷問され、耳を削がれ、目をくり抜かれると教えられていました。しかし、予想とは違って、トルコ軍は英軍捕虜を戦時国際法に即して紳士的に扱いました。この体験からトインビーは英国の世界史観に偏見と歪曲があり、見直しが必要なことを感じ取りました。帰国後大学に戻った彼はその疑問を解明するため世界の様々な文明を克明に調べ上げ、その研究結果を大著「歴史の研究」に結実させました。
トインビー博士の話をしたのは、博士が著作の中で日本文明を中国文明と並んで取り上げているからです。日本は中国文明の影響を受けながらも独自の文明を作り出してきました。関西に住んでみるとこの点を実感します。例えば、中世に編纂された「百人一首」。100首の和歌の中で、女性が詠んだ歌は21首に上ります。中世の代表的な歌人の2割強を女性が占めています。そしてその大半が10〜11世紀に活躍しています。彼女たちは和歌にとどまらず、散文や小説の世界にまで進出しました。紫式部の「源氏物語」はその代表的なものですが、来年は「源氏物語」が書かれてちょうど1千年目に当たります。
中世日本の王朝文化に彩りを添えたのはこれらの女性たちでしたが、これは世界史的に見て極めてユニークな現象といえます。ヨーロッパでも、またインド、中国、朝鮮などのアジアでも、中世にこれほど多くの女流作家が出現した例は無いからです。その頃ヨーロッパでは十字軍の遠征が始まり、王侯貴族は外国での戦争に明け暮れていました。中国、朝鮮では男性中心の儒教世界が確立しており、女性が文学の世界で活躍する余地はほとんどありませんでした。その意味で私は、中世日本の女流作家とその作品群はユネスコの無形世界遺産に該当するものだと考えています。
時代はずっと下がって現在に至りますが、今アジアでも欧米でも日本文化が華やかです。マンガ文化、Jポップス、スシ文化などが若者に抵抗なく受け入れられています。マンガ「キャプテン翼」は早くから英語、フランス語、イタリア語、アラブ語などに翻訳され、世界中の子供たちに読まれています。「キャプテン翼」に刺激されてプロのサッカー選手を志した当時の少年たちの中に、フランスのジダンとイタリアのトッティーがいます。
日本の食文化も急速に世界に広まっています。日本人が1000人足らずのモスクワに和食レストランが300軒以上オープンしています。
将来日本の国際化が更に進む中にあって、諸君が以上のような日本文化・文明に対する認識を新たにすることは、世界を相手に活躍する上でとても大切なことです。
国際人としての第二の条件は、自己の立場を主張すると同時に相手方の立場に配慮することです。相手を知ろう、世界を知ろうという謙虚な気持ちで接すれば相手はこちらに好意を寄せてきます。また相手を知ることは自分を知ることにつながります。
一例を挙げましょう。私はいま核開発問題で国際的な批判を浴びているイランに30年前に勤務していました。ペルシャ語を習ってカーペット店に通った頃、店主と客がお茶を飲みながら交渉しているのを何度も目撃しました。一般に中東では相手が話をしている間はじっと聞いていて、途中で口を挟むことがありません。客が話し終わると、今度は店主が話し始め、お客はじっと耳を傾けます。双方のやり取りはお茶を飲みながら延々と続きます。・・・
http://jfn.josuikai.net/josuikai/kaiho/0704amae/main.html
国際人の条件とは
ここで「真の国際人とは何か」という本題に入りたいと思います。40年間外交に携わって、常に私の念頭にあったのは、理想的な国際人として行動しただろうかということです。
私の考える国際人の第一の条件は“To be international, be national”即ち、「国際人になるなら、先ず日本人たれ」ということです。世界に立ち向かう時、我々はその拠って立つ基盤、即ち「日本人とは何か、日本文明とは何か」を知ることが大切です。
ここで英国の歴史家、アーノルド・トインビー博士の業績に触れたいと思います。博士はオクスフォード大学を卒業後、ロンドン・タイムズの記者になりました。間もなく第一次大戦が勃発して、彼は従軍記者としてトルコとの前線に赴き、そこで運悪くトルコ軍の捕虜になりました。当時英国ではトルコ軍がいかに残忍か、捕虜になったら拷問され、耳を削がれ、目をくり抜かれると教えられていました。しかし、予想とは違って、トルコ軍は英軍捕虜を戦時国際法に即して紳士的に扱いました。この体験からトインビーは英国の世界史観に偏見と歪曲があり、見直しが必要なことを感じ取りました。帰国後大学に戻った彼はその疑問を解明するため世界の様々な文明を克明に調べ上げ、その研究結果を大著「歴史の研究」に結実させました。
トインビー博士の話をしたのは、博士が著作の中で日本文明を中国文明と並んで取り上げているからです。日本は中国文明の影響を受けながらも独自の文明を作り出してきました。関西に住んでみるとこの点を実感します。例えば、中世に編纂された「百人一首」。100首の和歌の中で、女性が詠んだ歌は21首に上ります。中世の代表的な歌人の2割強を女性が占めています。そしてその大半が10〜11世紀に活躍しています。彼女たちは和歌にとどまらず、散文や小説の世界にまで進出しました。紫式部の「源氏物語」はその代表的なものですが、来年は「源氏物語」が書かれてちょうど1千年目に当たります。
中世日本の王朝文化に彩りを添えたのはこれらの女性たちでしたが、これは世界史的に見て極めてユニークな現象といえます。ヨーロッパでも、またインド、中国、朝鮮などのアジアでも、中世にこれほど多くの女流作家が出現した例は無いからです。その頃ヨーロッパでは十字軍の遠征が始まり、王侯貴族は外国での戦争に明け暮れていました。中国、朝鮮では男性中心の儒教世界が確立しており、女性が文学の世界で活躍する余地はほとんどありませんでした。その意味で私は、中世日本の女流作家とその作品群はユネスコの無形世界遺産に該当するものだと考えています。
時代はずっと下がって現在に至りますが、今アジアでも欧米でも日本文化が華やかです。マンガ文化、Jポップス、スシ文化などが若者に抵抗なく受け入れられています。マンガ「キャプテン翼」は早くから英語、フランス語、イタリア語、アラブ語などに翻訳され、世界中の子供たちに読まれています。「キャプテン翼」に刺激されてプロのサッカー選手を志した当時の少年たちの中に、フランスのジダンとイタリアのトッティーがいます。
日本の食文化も急速に世界に広まっています。日本人が1000人足らずのモスクワに和食レストランが300軒以上オープンしています。
将来日本の国際化が更に進む中にあって、諸君が以上のような日本文化・文明に対する認識を新たにすることは、世界を相手に活躍する上でとても大切なことです。
国際人としての第二の条件は、自己の立場を主張すると同時に相手方の立場に配慮することです。相手を知ろう、世界を知ろうという謙虚な気持ちで接すれば相手はこちらに好意を寄せてきます。また相手を知ることは自分を知ることにつながります。
一例を挙げましょう。私はいま核開発問題で国際的な批判を浴びているイランに30年前に勤務していました。ペルシャ語を習ってカーペット店に通った頃、店主と客がお茶を飲みながら交渉しているのを何度も目撃しました。一般に中東では相手が話をしている間はじっと聞いていて、途中で口を挟むことがありません。客が話し終わると、今度は店主が話し始め、お客はじっと耳を傾けます。双方のやり取りはお茶を飲みながら延々と続きます。・・・
http://jfn.josuikai.net/josuikai/kaiho/0704amae/main.html
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.