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Re:narurinさん、ucchy555jpさん、黒龍会

投稿者: may7idaho 投稿日時: 2006/10/25 13:23 投稿番号: [5016 / 73791]
頭山満が中国革命に深く関与し、孫文も日本名である中山をずっと愛したり、或いは、明石元次郎が、ロシア革命の遠因になっていたり、
内田良平は、日露戦、朝鮮併合の推進役だったりと、福岡を拠点としていた黒龍会というのは、なんだか、我々の目の前の世界の大半に深く関わっていましたね。

共産革命によって混乱と亡国に喘ぎ、戦後も国力を回復しなかったロシアと中国、
或いは、統治中は予算を食ったものの、敵が入り込まず、手もかからなかった朝鮮、イスラムからインドまで黒龍会が築いた人脈の中で大戦中に大東亜会議さえ開けた日本等々、なんだか、小さな黒龍会が目の前の世界の至るところに見える気がしますよ。

右とか左とか、そんな範疇ではとても語れないものを感じます。
日本の高校くらいで、この黒龍会の事を説明した本を、別冊参考書として与えてもいいくらいに思うんですけどね・・・・


広田弘毅も、玄洋社の一員でしたね。

『わが国の外交官として軍国主義に身を挺して戦い、それでも軍国主義の昂進を防げなかった責めに殉じて、東京裁判で一言の弁解をすることなく、「自ら計らわぬ」生き方を貫き、文官としては唯一人刑場に消えた広田に、城山は本作品で渾身の力で鎮魂の辞を述べている。
城山には様々な名作があるが、この一作をして文豪の域に到達したと言えるであろう。

広田は石屋の長男として生まれ、貧しく、進学は難しかったが、父の友人が父を説得し、一高東大を経て外務省に入った。同期に吉田茂がいる。努力型の人で座禅、柔道にも親しんだ。この柔道場が自由民権の流れを組むが後に右翼団体と目された玄洋社であり、大きな影響を広田の運命に与える。
中学を出ると論語の一節から考を得て丈太郎から弘毅と自ら改名。
日清戦争後の三国干渉を見て、広田は外交官を志す。不世出の外務官僚と言われた山座円次郎に東大時代から可愛がられ、満鮮シベリア調査を委託されたりしている。
広田のような有望な外交官には名望からの縁談があったが取りあわず、同郷の自由民権の貧しい志士の娘静子と結婚する。
指輪は貝細工であった。生涯爵位、位階勲等に関心を持たなかった。遊ばずに勉強につとめ、若き日に北京、ロンドンと赴任する。
山座と親友が突如死んだが、悲しみの中でも必死で勉強し、徐々に政治力の必要性も自覚していく。
支那、東洋との友好発展が山座の教えを守る広田の基本的考えであった。地味に徹していたが、早くから広田は省内で「大臣」と目されるほどの力をつけていく。
昭和五年の駐ソ大使赴任以来、昭和八年外相、二・二六事件直後の昭和一一年三月首相、昭和一二年外相などを通じて、広田は関東軍、軍部の侵略的行動と一貫して命を懸けてたたかい、和平の道を探った。もちろん清貧であった。中国、アメリカ、イギリス、ソ連を引きつけながら、軍部に対抗したのである。結果的には破れたことになろうが、このたたかいの様が本書の圧巻部分である。城山は主観的に広田を好むゆえに広田擁護の作品を作っているのではない。凄まじい決意で、資料に基づき事実を発掘している。この事実の摘示で誤った広田像が瓦解するのである。

広田の実績からすると東京裁判では、いくらでも無罪の弁論ができたであろうのに、広田は弁護人の奨めを拒否し、全く弁明しなかった。
弁明には他者への非難が必ず入ること、またこの裁判は勝者が敗者をさばく政治であるとの確信からであった。死刑執行直前の手紙、発言に至るまで一切不満や愚痴を残さず、ただ面会に来てくれた人々との思い出や感謝、不自由な房生活での楽しみなどに専一されていた。
城山は広田の死生観を詳しく書く。
まず広田の母タケは、八〇歳になり病状が悪化したとき一目弘毅に会いたいと願ったが、オランダ公使だった広田の帰国が無理だと知ると、一切食事を受け付けずに餓死同然の死を選んだ。
その時から広田は死はいつでも選び取って見せるという気になり、母がそれを励ましてくれていると感じた。
次男忠雄の自殺からも広田は死を身近なものとする。

また東京裁判の後半、広田の運命を察した妻静子は、六二歳で自ら命を絶ち、後に続く広田を励ました。広田はそれを知って、意図を理解し、感謝しながら、留守宅に出す手紙には最期まで「シズコドノ」と書いたという。その文字が見られなくなったとき、すなわち広田が死ぬとき、はじめて静子も本当に死ぬのだと考えたと作者は書いている。』


広田弘毅が貧乏学生のために作った寮は、今でも東京・荻窪にありますね。

http://www.chugoku-np.co.jp/wagahibi/momiji/mo060210.html
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