Re: narurinさん、中根中と黒龍会
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2006/10/25 12:31 投稿番号: [5012 / 73791]
例えば、内田良平。
色々読むと、この人こそが李完用を突き動かし、一進会を本格化させ、日露戦争の際の戦場地図や、朝鮮縦貫鉄道を一進会会員数十万人と日本の建設会社の共同で、あっという間に作ってしまった陰の功績者でもある・・・・
等々、朝鮮、日露戦争に関して、一個の軸として動いていますね。
右とか左とか、そういう話しからはかけ離れていますよ。
しかも、ただの運動家ではなくて、意外に経済観念もあり、資金も炭坑経営などを陰で差し配したりして捻出していたり・・・・
『厳然たる国士の風格 内田良平氏
黒龍会―内田良平―の名は一部の新しがり屋には大分誤解されてゐる様だが、滔々として
物質主義の文明に趨らんとする末世的世相に慨して一片耿々の志已み難く、(長いので略)
当仁小学校を卒へた頃、鉱山業の失敗から一家一門挙げて破
産の悲境に遭遇したので、雑餉隈で郡役所の給仕となつた。
明治二十七年春朝鮮に東学党の乱が起るや、
氏は僅かに二十一にして大原義剛氏其他の同志十五人と共に朝鮮に押渡り、
天佑侠なるものを組織して、内政改革に対する一揆の義挙を助けた。
之が抑も後年氏が日韓合併の主唱者となつた遠因なのである。
三十四年アジア民族の振興を図る目的を以て黒龍会を組織し、或は日露の開戦を主張し、
或はポーツマス媾和条約に反対して国民大会を起し、又伊藤公のハルビンに暗殺せらるゝや、
直に政府を説いて日韓合邦の議を内決せしめ、之が合邦に対して内面的の大功蹟を著はし、
次では印度の志士ボース、グブタの両氏が英国政府より圧迫されて日本より退去問題の起るや、
之を庇護して安住せしめ、其他対支、対露、対米等の諸問題が起る毎に率先奮起して国事に
奔走しつゝあるのである。
而して此間実地踏査の結果著はした
『露国東方経営部面全図』は縦横六尺五寸の大地図にして、
日露開戦に当つては、我が参謀本部の重要地図として顕著なる働きをなした物である。
尚ほ今日盛んに行はれてゐる西郷南洲の伝記等も、明治四十四年同会より発刊された『西南
記伝』全六巻が(略)当時徳富蘇峰氏の如きは其内容の精密豊富にして故大久保公の日記等迄も
巨細に示されてゐるのに対して、歎賞禁じ得ざるものがあつたといはれてゐる。
『私共は政党には何等関係のない者である。
況や政治は其位に在らざればみだりに之を論ずべきものではない。故に政治を彼是いふ訳では
ないが、今日の政治や世相やは黙つては見て居られん。
まあ私共は和様でいへば心配屋、唐様でいへば憂国家といふ訳ですタイ。
それに日本の国は元来が徳主法従でなければならぬのに、此頃は一切合切法主徳従になつて
しまうとる。
之では日本の建国の精神も全く亡びる一方ぢやから、之が為めには一生粉骨砕心を辞せん
考へですタイ』と。』
半面家庭に於ける氏は、その訪客や家人との応対等にも、
『なアーなアー』の福岡弁丸出しで如何にも慈父の如き感がある。』
色々読むと、この人こそが李完用を突き動かし、一進会を本格化させ、日露戦争の際の戦場地図や、朝鮮縦貫鉄道を一進会会員数十万人と日本の建設会社の共同で、あっという間に作ってしまった陰の功績者でもある・・・・
等々、朝鮮、日露戦争に関して、一個の軸として動いていますね。
右とか左とか、そういう話しからはかけ離れていますよ。
しかも、ただの運動家ではなくて、意外に経済観念もあり、資金も炭坑経営などを陰で差し配したりして捻出していたり・・・・
『厳然たる国士の風格 内田良平氏
黒龍会―内田良平―の名は一部の新しがり屋には大分誤解されてゐる様だが、滔々として
物質主義の文明に趨らんとする末世的世相に慨して一片耿々の志已み難く、(長いので略)
当仁小学校を卒へた頃、鉱山業の失敗から一家一門挙げて破
産の悲境に遭遇したので、雑餉隈で郡役所の給仕となつた。
明治二十七年春朝鮮に東学党の乱が起るや、
氏は僅かに二十一にして大原義剛氏其他の同志十五人と共に朝鮮に押渡り、
天佑侠なるものを組織して、内政改革に対する一揆の義挙を助けた。
之が抑も後年氏が日韓合併の主唱者となつた遠因なのである。
三十四年アジア民族の振興を図る目的を以て黒龍会を組織し、或は日露の開戦を主張し、
或はポーツマス媾和条約に反対して国民大会を起し、又伊藤公のハルビンに暗殺せらるゝや、
直に政府を説いて日韓合邦の議を内決せしめ、之が合邦に対して内面的の大功蹟を著はし、
次では印度の志士ボース、グブタの両氏が英国政府より圧迫されて日本より退去問題の起るや、
之を庇護して安住せしめ、其他対支、対露、対米等の諸問題が起る毎に率先奮起して国事に
奔走しつゝあるのである。
而して此間実地踏査の結果著はした
『露国東方経営部面全図』は縦横六尺五寸の大地図にして、
日露開戦に当つては、我が参謀本部の重要地図として顕著なる働きをなした物である。
尚ほ今日盛んに行はれてゐる西郷南洲の伝記等も、明治四十四年同会より発刊された『西南
記伝』全六巻が(略)当時徳富蘇峰氏の如きは其内容の精密豊富にして故大久保公の日記等迄も
巨細に示されてゐるのに対して、歎賞禁じ得ざるものがあつたといはれてゐる。
『私共は政党には何等関係のない者である。
況や政治は其位に在らざればみだりに之を論ずべきものではない。故に政治を彼是いふ訳では
ないが、今日の政治や世相やは黙つては見て居られん。
まあ私共は和様でいへば心配屋、唐様でいへば憂国家といふ訳ですタイ。
それに日本の国は元来が徳主法従でなければならぬのに、此頃は一切合切法主徳従になつて
しまうとる。
之では日本の建国の精神も全く亡びる一方ぢやから、之が為めには一生粉骨砕心を辞せん
考へですタイ』と。』
半面家庭に於ける氏は、その訪客や家人との応対等にも、
『なアーなアー』の福岡弁丸出しで如何にも慈父の如き感がある。』
これは メッセージ 4949 (narurin さん)への返信です.