Re: 漢字の朝鮮半島への伝来は日本より先?
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2009/02/06 21:24 投稿番号: [48803 / 73791]
NHKスペシャル日本人はるかな旅より
朝鮮半島の南端、韓国慶尚南道の三千村(サンチョンチョン)の沖合にある勒島遺跡群から、
朝鮮の土器とは明らかに文化圏を異にする縄文土器や、縄文の道具類が見つかっており、
釜山広域市影島(ヨンド)区にある東三(トンサム)洞貝塚からも、
7千(B.C.5000)〜3千(B.C.1,000)年前(縄文並行期)頃の、縄文人が日本列島から持ってきた縄文土器や、
交易品であった九州産の黒曜石などが数多く見つかっている。
九州大学大学院人文科学研究院教授 西谷正
東三洞遺跡で出土する縄文土器と九州産黒曜石の写真
韓国語 http://j2k.naver.com/j2k.php/korean/www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/tour/korea/album.htm
日本語 http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/tour/korea/album.htm
硬玉翡翠の勾玉★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
**********6000年前から続く日本の翡翠の勾玉の歴史**********
インターネット百科辞典wikipediaより抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3
縄文時代前期
約6000年〜50000年前 貝塚 平底土器が一般化する。竪穴住居が広場を囲んで集落をつくる。
気候温暖で海面・気温上昇(縄文海進、海水面4〜5メートル高くなる)のため、現在の内陸部に貝塚つくられる。
湖沼の発達により丸木船がつくられる。漁労活動開始。常緑照葉樹と落葉照葉樹。
木器・土器・櫛などに漆を塗ることが始まる。環状列石がつくられる。
耳飾り・『勾玉』・管玉などの装身具がつくられる。立石列(りつせきれつ)環状石籬
**********6000年前から続く日本の翡翠の勾玉文化朝鮮半島へ進出**********
平凡社世界大百科事典より
ヒスイ(翡翠) ひすい
日本列島では新潟県の姫川支流の小滝川,青海川に産地がある。その転石,海岸漂石が縄文時代中期以降,
弥生・古墳時代を通じて北陸地方の攻玉遺跡で硬玉大珠や勾玉に加工され,日本各地に運ばれている。
《魏志倭人伝》に倭の特産物として記されている〈青玉〉,
あるいは中国の朝廷に贈った〈青大勾珠〉は大型の勾玉ないしは硬玉大珠ではないかとされている。
朝鮮半島でも翡翠の産地は確認されていない。しかし,
古新羅の宝冠や耳飾に翡翠の勾玉 (まがたま) が多く用いられており,
当時の日本から移入したものではないかとされている。
中国社会科学院名誉教授 独立行政法人文化財研究所理事 奈良文化財研究所所長 町田章
※魏志原文:白珠五千孔逭大勾珠二枚異文雑錦二十匹 http://www.bekkoame.ne.jp/ro/fumi/koten/gisiwa.htm
***********
平凡社世界大百科事典より
勾玉‖曲玉 まがたま
勾玉は日本で独自に発達した玉の形である。縄文時代から使用しているので,
動物の歯牙の基部に孔をあけて用いたのが原形であろうという説がある。
形の関連のほかに,硬玉翡翠を材料とすることを好む点でも,石器時代勾玉が弥生時代以降の勾玉の母胎になったことはたしかである。
勾玉は日本以外でも,三国時代新羅の墳墓の副葬品として,豊富に出土している。たとえば
慶州金冠塚出土の金冠には,57 個の硬玉勾玉が装飾として綴じつけてある。腰佩にも硬玉勾玉に金帽をかぶせたものや,
金帽をかぶせた勾玉の形を中空に作った金製勾玉を垂下したものがある。ただし新羅の勾玉には,硬玉,瑪瑙のほかに,
碧玉,水晶,ガラスなどを材料とするものがあり,形態や大小の統一を欠くうえに,穿孔法も両面,片面の両種を含んでいて,
既存の勾玉を収集して利用した可能性が強い。したがって,そのすべてを日本製ということはできないにしても,
かなりの比率で日本製品を含むことは否定できない。
京都大学教授 小林行雄
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朝鮮半島の南端、韓国慶尚南道の三千村(サンチョンチョン)の沖合にある勒島遺跡群から、
朝鮮の土器とは明らかに文化圏を異にする縄文土器や、縄文の道具類が見つかっており、
釜山広域市影島(ヨンド)区にある東三(トンサム)洞貝塚からも、
7千(B.C.5000)〜3千(B.C.1,000)年前(縄文並行期)頃の、縄文人が日本列島から持ってきた縄文土器や、
交易品であった九州産の黒曜石などが数多く見つかっている。
九州大学大学院人文科学研究院教授 西谷正
東三洞遺跡で出土する縄文土器と九州産黒曜石の写真
韓国語 http://j2k.naver.com/j2k.php/korean/www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/tour/korea/album.htm
日本語 http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/tour/korea/album.htm
硬玉翡翠の勾玉★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
**********6000年前から続く日本の翡翠の勾玉の歴史**********
インターネット百科辞典wikipediaより抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3
縄文時代前期
約6000年〜50000年前 貝塚 平底土器が一般化する。竪穴住居が広場を囲んで集落をつくる。
気候温暖で海面・気温上昇(縄文海進、海水面4〜5メートル高くなる)のため、現在の内陸部に貝塚つくられる。
湖沼の発達により丸木船がつくられる。漁労活動開始。常緑照葉樹と落葉照葉樹。
木器・土器・櫛などに漆を塗ることが始まる。環状列石がつくられる。
耳飾り・『勾玉』・管玉などの装身具がつくられる。立石列(りつせきれつ)環状石籬
**********6000年前から続く日本の翡翠の勾玉文化朝鮮半島へ進出**********
平凡社世界大百科事典より
ヒスイ(翡翠) ひすい
日本列島では新潟県の姫川支流の小滝川,青海川に産地がある。その転石,海岸漂石が縄文時代中期以降,
弥生・古墳時代を通じて北陸地方の攻玉遺跡で硬玉大珠や勾玉に加工され,日本各地に運ばれている。
《魏志倭人伝》に倭の特産物として記されている〈青玉〉,
あるいは中国の朝廷に贈った〈青大勾珠〉は大型の勾玉ないしは硬玉大珠ではないかとされている。
朝鮮半島でも翡翠の産地は確認されていない。しかし,
古新羅の宝冠や耳飾に翡翠の勾玉 (まがたま) が多く用いられており,
当時の日本から移入したものではないかとされている。
中国社会科学院名誉教授 独立行政法人文化財研究所理事 奈良文化財研究所所長 町田章
※魏志原文:白珠五千孔逭大勾珠二枚異文雑錦二十匹 http://www.bekkoame.ne.jp/ro/fumi/koten/gisiwa.htm
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平凡社世界大百科事典より
勾玉‖曲玉 まがたま
勾玉は日本で独自に発達した玉の形である。縄文時代から使用しているので,
動物の歯牙の基部に孔をあけて用いたのが原形であろうという説がある。
形の関連のほかに,硬玉翡翠を材料とすることを好む点でも,石器時代勾玉が弥生時代以降の勾玉の母胎になったことはたしかである。
勾玉は日本以外でも,三国時代新羅の墳墓の副葬品として,豊富に出土している。たとえば
慶州金冠塚出土の金冠には,57 個の硬玉勾玉が装飾として綴じつけてある。腰佩にも硬玉勾玉に金帽をかぶせたものや,
金帽をかぶせた勾玉の形を中空に作った金製勾玉を垂下したものがある。ただし新羅の勾玉には,硬玉,瑪瑙のほかに,
碧玉,水晶,ガラスなどを材料とするものがあり,形態や大小の統一を欠くうえに,穿孔法も両面,片面の両種を含んでいて,
既存の勾玉を収集して利用した可能性が強い。したがって,そのすべてを日本製ということはできないにしても,
かなりの比率で日本製品を含むことは否定できない。
京都大学教授 小林行雄
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これは メッセージ 48802 (pokosi2000 さん)への返信です.